×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
桜井市の纏向遺跡はとにかくだだっ広いです。
名前は全国的にも有名で、注目すべき発見も多々ありましたが、実際の場所に行っても何もないのがこちらの特徴です?
この周辺に点在する古墳群は、この遺跡の時期に並立するものもあれば、纏向の廃絶以降に作られた物もあります。
弥生時代後期から古墳時代の初頭の畿内では、拠点集落というと、この纏向遺跡に集約されて来るそうです。
ここに匹敵する『都市』は九州にも東海にもないとの事で、この時期のヤマトの首都ともいえる存在です。
この纏向遺跡で初めて、企画性を持った建物群が発見されたという報道はつい一昨日の事で、現地説明会は本日行われました。
発掘調査地はJR桜井線の纏向駅のすぐ近く、線路脇にあります。
大々的な報道の割には、ややこじんまりとした現場です。
そして遺構は更に地味(^^ゞ
だって柱穴の列と溝ばかり……まぁ、大抵の遺跡はこんなものですけどね。
遺物も庄内式と布留式の土器がメインです。
ニュース性の割には地味なのは、時代的にも遺構の性格的にも仕方ない事です。
それでも分かりやすいように、柱穴に色違いの柱を立てて、黄色い建物を囲む白い柵の様子を見せてくれています。
都城とまで行かずとも古墳時代には、方位をそろえた掘立柱建物など珍しくはないのですが、ここでは弥生時代が終わるか古墳時代が始まるかという時期、出土した土器から三世紀の前半、ここまで古い例は畿内でも初めて確認されたのだそうです。
天邪鬼うめぞーは、邪馬台国論争にはてんで興味ないというか、弥生時代は守備範囲外というか、メジャーなものは今更どうでも良いというか、新聞社やテレビ局の記者さんが寄って来ると逃げておりました。
やっぱり、邪馬台国畿内説への期待をコメントして欲しいんだろうなぁ……
まぁ、話題としては極めて取っ付き易いですからねぇ。
ともあれ、こういう地味な分野が脚光を浴びるのは、とても嬉しい事ですわ。
ニュースは話題性たっぷりでも、調査は地道に辛抱強いデータの積み重ねです(-_-)
名前は全国的にも有名で、注目すべき発見も多々ありましたが、実際の場所に行っても何もないのがこちらの特徴です?
この周辺に点在する古墳群は、この遺跡の時期に並立するものもあれば、纏向の廃絶以降に作られた物もあります。
弥生時代後期から古墳時代の初頭の畿内では、拠点集落というと、この纏向遺跡に集約されて来るそうです。
ここに匹敵する『都市』は九州にも東海にもないとの事で、この時期のヤマトの首都ともいえる存在です。
この纏向遺跡で初めて、企画性を持った建物群が発見されたという報道はつい一昨日の事で、現地説明会は本日行われました。
発掘調査地はJR桜井線の纏向駅のすぐ近く、線路脇にあります。
大々的な報道の割には、ややこじんまりとした現場です。
そして遺構は更に地味(^^ゞ
だって柱穴の列と溝ばかり……まぁ、大抵の遺跡はこんなものですけどね。
遺物も庄内式と布留式の土器がメインです。
ニュース性の割には地味なのは、時代的にも遺構の性格的にも仕方ない事です。
それでも分かりやすいように、柱穴に色違いの柱を立てて、黄色い建物を囲む白い柵の様子を見せてくれています。
都城とまで行かずとも古墳時代には、方位をそろえた掘立柱建物など珍しくはないのですが、ここでは弥生時代が終わるか古墳時代が始まるかという時期、出土した土器から三世紀の前半、ここまで古い例は畿内でも初めて確認されたのだそうです。
天邪鬼うめぞーは、邪馬台国論争にはてんで興味ないというか、弥生時代は守備範囲外というか、メジャーなものは今更どうでも良いというか、新聞社やテレビ局の記者さんが寄って来ると逃げておりました。
やっぱり、邪馬台国畿内説への期待をコメントして欲しいんだろうなぁ……
まぁ、話題としては極めて取っ付き易いですからねぇ。
ともあれ、こういう地味な分野が脚光を浴びるのは、とても嬉しい事ですわ。
ニュースは話題性たっぷりでも、調査は地道に辛抱強いデータの積み重ねです(-_-)
PR
無題
やはり三世紀、だから三世紀
五~六世紀からすらも遠ざかっている(この時代の土器は常日頃見てますが……)身には、え~~と、誰のご先祖様でしたっけという感じです(~_~;)
ヤマトの王権と皇家がどういう関係化は分からねど、まぁ、我々のご先祖様の一端かもしれませんわ。
現説の時間はチョッと風が強かったですが、雨も上がって暖かかったのです。
しかし3時過ぎくらいから雨、今日は朝から寒くて、ただ今の奈良は冬に戻ってます。
明日の朝の最低気温ってマイナス2度……やめてくれぇ~~(・.・;)