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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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柱穴だらけといえば……世間はシルバーウィーク、私もカレンダー通りに休みなのですが、細かい用事がチョコチョコと入っていまして、旅行に行く計画も特には立てませんでした。
お陰で昨日は家の中をボチボチと片付け、友人に頼まれた物を用意する程度で終わり、今日は昨日の続きと、京都府木津川市で行われた現地説明会に行って来ました。

上津遺跡』は“こうづいせき”と読みます。
木津川は昔は“こづがわ”と呼ばれたそうで、“こうづ”はそれが転訛して現在の地名となったのだと考えられるのだそうです。
この場所は昔々の泉津、恭仁京造営に伴って発達し、都が山城に移ると衰退して行った事が、これまでの調査で分かりつつあります。
今回の調査はマンションの建設の事前調査だそうで、面積はあまり広くはなく、上の画像でも分かりますよう、ひたすらに柱穴ばかりの遺構です。

御存知、早川和子さんのイラストです。これじゃ何が何だか分からない?
そういう訳で、市内在住のイラストレーターの早川和子氏が、いつものように復元イラストを描いて下さっています。
泉川(木津川)より水揚げされた材木を始めとした物資の中継場所として、いわばコンテナーヤードのように利用された場所なのかもしれません。

遺構としては、総柱らしき掘立柱建物の一部が二棟分検出されているのですが、こいつの一棟が正方位に乗っていないんです。
この時代に正方位に乗らない建物って、さて、どう考えるべきなのでしょう?
木津川の河川敷の遺跡なので、砂交じりの崩れやすいベースを遺構が切っています。
かなり調査がし難そうに見えますし、建物の建て替えも頻繁に行われたようで、この狭い場所ではあまりはっきりした事は言えそうにありません。

遺物としては奈良時代後期の須恵器の長頸壺が多数、こいつの内部にはが付着し、掻き取られた様子も見て取れます。
当時の漆一升は米一瓢にも相当したそうで、かなり高価な物だったようです。
税として納められた漆をここに集積し、都や周辺に分配したのだろうと考えられています。

御霊神社境内です。ところで発掘調査の現地は、住宅街の中なので説明をしたり遺物を展示するには手狭だという訳で、バス通りに面した場所にあるこちらの神社で、受付や説明が行われました。

木津川市木津宮ノ裏の『御霊神社』です。
私の持っている地図には載っておりませんで、こちらの神社の由緒書きも文字が完全に飛んでしまって、誰が御祭神なのか分かりませんが、ネットで調べたところ、藤原広嗣伊予親王早良親王を御祭しているそうです。
ちょっと変わった面々ですね(^^ゞ

先日に行きました『岡田国神社』に同様、拝殿前の庭の両側に氏子の詰め所があるのは、この相楽郡辺りに多い建物配置のようです。
ちなみに本殿は一間社の流造り、今回は春日造りではないですねσ(^◇^;)
本殿も含め、建物はいずれも新しく、『岡田国神社』『田中神社』と共に、氏子の方々の御努力で再興された神社のようです。
字名の“宮ノ裏”はまさに、この神社の周囲を表しているようです。

この周辺にもちょっとメジャーな人々所縁の地があるのですが……そいつはまた別稿で(~_~;)
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