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今月の春日大社の『いのちと心の講座』は花山院弘匡宮司による『秘められた龍神信仰』です。
春日大社の龍神信仰といえば、謡曲でも知られる『春日龍神』の存在なのですが、一体いつから春日には龍が現れるのかが、一つの問題となります。
謡曲では龍王は春日大明神(本地仏は釈迦如来)の使いとして現れますが、さて……
アプローチは何故なのか采女から始まります。
『大和物語』に見られる、猿沢池で入水した采女の物語ですが、今では縁結びの御社にされている『采女神社』の由緒話としてとても有名ですね。
この采女が後に龍へと結びついて行くようです。
余談ながら、花山院宮司の御先祖の一人に仁和寺の覚成師という御方がおられるそうで、何でも神泉苑で雨乞いをした際に龍神の出現を見たのだとか。
神泉苑の池に善女竜王が住んでいるのは有名ですが、猿沢池にも龍が住んでいるという記述は、鎌倉初期の『古事談』に既に見えるとの事です。
室生の龍穴には善達龍王が住んでいますが、この龍王は最初は猿沢池にいたと書かれています。
ところが池に采女が身を投げたため、春日山の南にある香山(こうざん)に移ったところ、ここにも死者を捨てるような者がいたため、更に室生の穴に移動したということです。
ところで香山には今でも『鳴雷神社』があり、社の傍らには丸い龍王池があります。
この池は佐保川や能登川の源流の一つで、どのような日照りの時にも水が枯れず、雨乞いの場所として、古来より特別の信仰を集めていた様子も伺えます。
さて、春日大社は本来、藤原氏の氏神を祀る社です。
『志度寺縁起』には謡曲『海女』の元となった、珠採り海女の物語が見えますが、不比等が海女に頼んで海龍王から取り返した宝珠は、興福寺本尊の釈迦如来の眉間に入れたと『春日秘記』に書かれているとか、春日大社の四つの御本殿の第一社に置かれているとか言われています。
一方、この珠を更に取り返そうと龍王は春日にまで追いかけて来て、取りあえずは猿沢池に住み着き、何度も社へと向かうのですが、結界となる鳥居に阻まれて果たせずじまいなのだと……何やらだんだん、色々な要素が入り乱れた話になって来ていますが、今でも猿沢池には龍は戻って来るのでしょうか??
ところで一番上の画像で、神職の方が頭に載せているのは、『春日若宮おん祭』で馬長児(ばちょうのちご)の従者が被っている龍の飾りです。
手に持った笹竹は『恋笹』ともいい、五色の短冊には『あふ恋』『忍ぶ恋』など、恋に関する言葉が書かれているのですが、この『恋』は『雨乞い』に通じ、龍が雨を呼ぶ存在である事を示しているのだとか。
真ん中の画像は、昨年のおん祭のお渡り式に向かう、馬長児の従者の一人、実際はこのような格好で従っています。
三番目の画像は、春日大社の奥の院とも言われる『紀神社』ですが、ここには『龍王珠石』という名前の磐座らしき集石があります。
記録には、紀神社の西側にあり、善女龍王の納めた尾珠と云々……という事が書かれているとか。
あまり知られていないようですが、春日大社の境内には神社成立以前からあったと思われる磐座の類が幾つか見られ、御笠山一体が、平城京ができる以前から神の座す地とされていた事がうかがえます。
猿沢池から龍王珠石、香山の龍神池、この三つは龍と水を結ぶラインとして、今も春日の山に龍神がいる事を表しているのかもしれません。
この他にも、龍と雨、水をめぐるエピソードは神社の周辺に、今現在も幾つか見る事ができるそうです。
例えば、南都楽所の左方だ太鼓の龍は、しょっちゅう雨を呼んでくれるとか……?
宮司を始めとした神職方々の話も多岐に渡って面白いし、実際に歩いてみる境内もかなり興味深い物があちらこちらに点在しています。
今回は更に特別なサプライズもありまして、滅多に入れないような所も案内して頂きましたが、そちらは他言無用……!?
毎回、参加する度に思うのですが、実にこの講座はためになります(^_^)v
春日大社の龍神信仰といえば、謡曲でも知られる『春日龍神』の存在なのですが、一体いつから春日には龍が現れるのかが、一つの問題となります。
謡曲では龍王は春日大明神(本地仏は釈迦如来)の使いとして現れますが、さて……
アプローチは何故なのか采女から始まります。
『大和物語』に見られる、猿沢池で入水した采女の物語ですが、今では縁結びの御社にされている『采女神社』の由緒話としてとても有名ですね。
この采女が後に龍へと結びついて行くようです。
余談ながら、花山院宮司の御先祖の一人に仁和寺の覚成師という御方がおられるそうで、何でも神泉苑で雨乞いをした際に龍神の出現を見たのだとか。
神泉苑の池に善女竜王が住んでいるのは有名ですが、猿沢池にも龍が住んでいるという記述は、鎌倉初期の『古事談』に既に見えるとの事です。
室生の龍穴には善達龍王が住んでいますが、この龍王は最初は猿沢池にいたと書かれています。
ところが池に采女が身を投げたため、春日山の南にある香山(こうざん)に移ったところ、ここにも死者を捨てるような者がいたため、更に室生の穴に移動したということです。
ところで香山には今でも『鳴雷神社』があり、社の傍らには丸い龍王池があります。
この池は佐保川や能登川の源流の一つで、どのような日照りの時にも水が枯れず、雨乞いの場所として、古来より特別の信仰を集めていた様子も伺えます。
さて、春日大社は本来、藤原氏の氏神を祀る社です。
『志度寺縁起』には謡曲『海女』の元となった、珠採り海女の物語が見えますが、不比等が海女に頼んで海龍王から取り返した宝珠は、興福寺本尊の釈迦如来の眉間に入れたと『春日秘記』に書かれているとか、春日大社の四つの御本殿の第一社に置かれているとか言われています。
一方、この珠を更に取り返そうと龍王は春日にまで追いかけて来て、取りあえずは猿沢池に住み着き、何度も社へと向かうのですが、結界となる鳥居に阻まれて果たせずじまいなのだと……何やらだんだん、色々な要素が入り乱れた話になって来ていますが、今でも猿沢池には龍は戻って来るのでしょうか??
ところで一番上の画像で、神職の方が頭に載せているのは、『春日若宮おん祭』で馬長児(ばちょうのちご)の従者が被っている龍の飾りです。
手に持った笹竹は『恋笹』ともいい、五色の短冊には『あふ恋』『忍ぶ恋』など、恋に関する言葉が書かれているのですが、この『恋』は『雨乞い』に通じ、龍が雨を呼ぶ存在である事を示しているのだとか。
真ん中の画像は、昨年のおん祭のお渡り式に向かう、馬長児の従者の一人、実際はこのような格好で従っています。
三番目の画像は、春日大社の奥の院とも言われる『紀神社』ですが、ここには『龍王珠石』という名前の磐座らしき集石があります。
記録には、紀神社の西側にあり、善女龍王の納めた尾珠と云々……という事が書かれているとか。
あまり知られていないようですが、春日大社の境内には神社成立以前からあったと思われる磐座の類が幾つか見られ、御笠山一体が、平城京ができる以前から神の座す地とされていた事がうかがえます。
猿沢池から龍王珠石、香山の龍神池、この三つは龍と水を結ぶラインとして、今も春日の山に龍神がいる事を表しているのかもしれません。
この他にも、龍と雨、水をめぐるエピソードは神社の周辺に、今現在も幾つか見る事ができるそうです。
例えば、南都楽所の左方だ太鼓の龍は、しょっちゅう雨を呼んでくれるとか……?
宮司を始めとした神職方々の話も多岐に渡って面白いし、実際に歩いてみる境内もかなり興味深い物があちらこちらに点在しています。
今回は更に特別なサプライズもありまして、滅多に入れないような所も案内して頂きましたが、そちらは他言無用……!?
毎回、参加する度に思うのですが、実にこの講座はためになります(^_^)v
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