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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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毘盧舎那仏の膝元政権が変われば、主要人事も変わるのは至極当たり前の事ですね。
先日、桓武朝初期のやたらに多く見える人事関係の記事は、もしかして一種のトリックかもしれないと書きましたが、天応元(781)年の五月に行われている人事は、明らかにかなり大規模な入れ替えです。
これが何に伴うのかと申しますと、ズバリ、桓武天皇の即位(五月三日)です。

それなりに年寄りをリタイアさせて、若い人を抜擢したような動きはありますが、別に今まで役職についていた人が干されたというような露骨な例はあまり見られません。
ところがその後に、ジワジワと旧勢力への包囲網を縮めて行く動きが見えます。
その一つが、かなり以前に書いた、藤原氏の二人の高官を排除する事件です。
京家の浜成と北家の魚名(左大臣)を大胆に追い払った後、藤原四家のトップに立つのは式家の田麻呂(右大臣)です。
ところがこの田麻呂も、延暦二(783)年には亡くなって、次の氏長となるのは南家の是公(右大臣)、その次に続くのは同じく南家の継縄となります。
継縄の異母弟の乙縄も、この後に控えているのですが、この人は天応元年の六月に亡くなっています。
同じく次席を狙って、北家の小黒麻呂家依、そして式家の種継が続いているのですが、延暦四年に家依と種継が相次いで亡くなり、気が付けば藤氏の勢力は前時代に比べると、一歩も二歩も後退したような感があります。

この包囲網、決して藤氏にのみ向けられたものでない事は周知の通り……この時代というのも考えようによっては、聖武天皇の時代以上に天皇権力が大きくなって行くように思えます。
この二人の専制君主、かなり共通点がありそうな気がするのですが、もう一度見直してみませんといけません。

画像は御存知、東大寺金堂の本尊、毘盧舎那仏の膝と手です。
膝から下、台座の蓮弁は創建当初、つまり初代の大仏さんからの物です。
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