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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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昨日に引き続き川の話です。
今日考えていたのは木津川に掛かる橋の事。

国道24号線を北上して、奈良市を越えると京都府の木津川市に入ります。
ここ最近、何やかやと私もこの辺りに出かけております。
JR木津駅を過ぎて少しすると『泉大橋』という、かなり長い橋を渡ります。
私は時々、ここで渋滞に捕まりまして、橋の上で大型トラック辺りが対向車線を走ってくれたりすると、とにかく気分が悪い……あの揺れがとっても嫌いなんですわ。
昔々、首都高の湾岸の方でも、時々渋滞に巻き込まれて、この揺れを嫌と言うほど体験してから、どうも長い橋や高架での渋滞が嫌いなんですわ……いや、そもそも渋滞の好きな人は滅多にいないと思いますけれど。

それはともあれ、泉大橋を渡った先に『泉橋寺』という寺があります。
私は立ち寄った事がないのですが、行基和上の建立した四十九院の一つだそうです。
このお寺のすぐ西側の細い道が、行基和上の架けた『泉橋』から至るルートで、恭仁京右京の中心線の道だと推測されています。
左京の方にも、朱雀道が泉川を越す位置に橋が架けられているので、構造上はおかしくはありません。

ところがふと疑問に思ったのが、『泉津』との関係です。
昨年の秋にも上津遺跡』の現地説明会が木津川市教育委員会で行われましたが、この『宮ノ裏』の辺りがもしも『泉津』だとしたら、難波の方から来た物資を津に陸揚げをする場合、橋を超えなければならなくなるんですよ。
昔の事ですから、今のように川沿いに立派な堤防をかけて、その間に鉄筋の橋を渡すなんて事は絶対にありませんから、低い位置に何本もの橋桁に支えられた木造の橋が架かると思います。
こうなると船の往来はスムーズにできるものなのでしょうか……

川においそれと橋が架けられないのは、技術的な面や防衛的な都合に左右される事も多いと思いますが、昔々は大掛かりな荷物運搬は川をメインに行っているので、船の往来にも支障をきたさないようにされたのだと思うのですね。
これを考え始めると、『恭仁大橋』の前身となる橋も困るだろうなぁ……
今度は伊賀の方から入ってくる船を遮ってしまう事にならないかしら?
さて、この時代の橋の構造はどう考えたら良いものなのでしょう。
どうもこういう土木的な事にも不勉強で困ります。
そういえば以前、瀬田川の唐橋遺跡で昔の橋桁が出土してたかしら。
それから復元した模型を随分前に二上山博物館が借りて来て展示してたような……
ちょいとこれから、その画像を探してみましょうっと(~_~;)

さて、白壁王が泉橋院にいる行基和上を訪ねるのですが、恭仁京左京からは川の南側を通ったのでしょうか、北側を通ったのでしょうか……地図で見ると北側はがけ続き、南の河原の方が遥かに広いみたい。
いちいち、こんな事に関わってるから、書くべき話がスムーズに進まないのかしら(*_*;

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