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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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何を馬鹿なことを言い始めるかと申しますと、きっかけは藤原恵美朝臣家の9人の息子の名前を眺めていたところからなんです。
長男の真従(まより)は早世してますが、次男の真先はどういう訳か途中で名前が変わっています。
元の名前は執弓(ゆみとり)。
藤原南家でも北家でも式家でも、名前が変わる人は何人かいるので、そう取り立てて珍しい事でもないのかもしれません。

ところで藤原恵美家にはもう一人名前が変わったらしい人がいます。
それが三男の訓儒麻呂(くすまろ)で、元の名前は浄弁というらしいです。
もしかしてこれって法名?
実は六男の刷雄(よしお)は『八年の乱』の時、かつて僧籍にいたためと処刑を免れています。
訓儒麻呂は別の場所で亡くなっているのですが、もし近江の戦場にいて捕らえられていたら、この弟と同じような扱いが待っていたのでしょうか?

この辺りから思ったのですが、例えば淡海真人三船は若い頃には出家していて、三十を過ぎてから官界に入っているので、最初の方の出世のスピードは人より遅いかもしれません。
そして先日も疑問に思った、式家の田麻呂なのですが、この人が従五位下に叙位されて史料に名前が現れるのは四十歳の時です。
もしかしたらこの人も若い頃は寺に入っていたとか???

もう一人もしかしたらと思い当たるのが、壱志濃王なんですよね。
志貴親王が春日宮天皇の名を贈られた時、他の従兄弟たちは大概が、孫王として従四位下をもらっているのに、この人だけが一年以上遅れているのが解せないんですわ。
ただしこの人の場合は、従五位下は三十五歳(神護景雲元年)にもらっているんですね。
この時代、僧侶が叙位される例も多々あったらしいので……と考えるのも乱暴すぎますか。
この時に還俗したとしたら、今度は従四位への叙位の遅れの意味が分からないし……

それにしても、この御仁の従弟の早良親王も子供時代に出家してしまったのだし、案外、高位の家の息子には一人や二人、寺に入る人がいた可能性も否めないのかもしれません。
ちなみにうちの開成親王は、還俗する気も予定も更々ありませんので御安心(?)をm(__)m

しっかし……今更、壱志濃に出家させるのか?
このプランはうちではボツだわね。
だってこいつ、うちのスメラミコトと一緒に内舎人やってたんだから(--〆)
だけど、同年代の従兄弟たちを見ていると、うちのスメラミコト、結構、出世は早い方みたいだわね。
まぁ、正三位中納言の宮の嫡子だしなぁ(~_~;)
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