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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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『忍者ブログ』でエディターを変更してくださいと再三言っているので、何度目かのトライアルをしてみたのですが、改善したとされている項目すらも直っていないので、またもあきらめてHTMLに戻しました。
何せ、文字サイズすら変えられないって、一寸、エディターとして致命的でないの(・_・;)

7c1ddd14.jpeg藤野清麻呂が藤原式家の連中と面つき合わせて、白壁中納言家の噂話をしているシーンを書いていたのですが、ここでふと妙なというか、今更な事を考え始めました。
考え始めたのは私であって、清麻呂君ではありません、念のため?( ・◇・)?(・◇・ )?

何を考え始めたかと申しますと、白壁王の三男(次男という向きもあられましょうが、うちでは三男です)の出家の理由です。
三男(次男か)って誰?早良王という人です。
史料によれば、直接名前は出て来ませんが、この人は十一歳で出家したと考えられます。
この時、父親の白壁王は既に従三位、非参議ながら皇族官人としてはかなりの上臈という位置にいます。
一般的認識において何もしていない皇族に対して、三位を与えるほど、当時の官界は形骸化してはいないでしょうから、この階位には何かの意味があると考えてもおかしくはないと、私は常々思っております。

時は天平宝字四年ですから大炊天皇が高御座に就き、皇家の主流は舎人親王家に変わるかと思われていたはずです。
元年の政変で北宮家(高市皇子家)も新田部親王家も排除され、長親王家の上臈らは、それ以前に文室朝臣を賜姓されて皇統からリタイアしています。
況してや壬申の乱から既に九十年が経過している頃、ここまで皇嗣問題が逼迫していて、近江系(天智天皇系)を蚊帳の外に押しやっている余裕というか理由が、いつまで続くものなのでしょう。
志貴親王家は舎人親王家と並ぶ、皇嗣候補と見られていた可能性を果たして否定できるものなのか、常々疑問に思っています。

こういう状況で、ここからは私の勝手な設定下における戯言?(゚_。)?(。_゚)?
長男は三年前に出家して、今は唐律招提の台所になくてはならない人となり、次男は内舎人として任官し、時の為政者に目を付けられて娘婿になっているという状況。
次男と同母の三男、異母の四男はまだ十代前半とはいえ、藤原南家や北家を始めとした諸氏らから、どういう対象として見られていたのか……
更に言えば、この家の正妃は先帝の内親王で、七つになる女王がいる。
成人した図太い二人の息子は大丈夫と思えても、これら年若い諸王らは太政官入りを目前とする父親には、かなり気がかりな存在だったのかも……
まだ五男坊は生まれていないので、皇統に関わって来るのは内親王腹の娘という事になるか。
十一歳の三男と七歳の次女、この二人の何に父親は悩んでいたのだろうか

(゜_゜>)、どうもすっきりとまとまらない。
ともあれ、この先、うちの清麻呂君が巻き込まれるのは、三男坊の事ではなくて次男と五男の事。
もしかして、この人につき物(?)の猪とは、実は白壁王家の次男の事かn(ー_ー?)ン?
あの御仁は偶蹄目というよりも、夜行性肉食系のような気もするんだが(・・?
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