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ニュースでは『日本書紀』に書かれた“西の槻の樹の広場”ではないかとされる『飛鳥寺西方遺跡』の現地見学会に行って来ました。
ここ最近、明日香村教育委員会は現地では見学会に留め、後日に報告会の形で詳しい説明をしてくれるという念入りな方法で、調査結果を紹介してくれています。
今回も九日に中央公民館で調査報告会をするそうですが、私は生憎と用事がありまして遠出をしなければなりません(/_;)
さて、現場はこのように石ばかりです。
よく見ますと大きめの石を敷いた所と、ごく細かい砂利を敷き詰めた所に分かれています。
発掘場所は飛鳥寺の西門跡の西側40メートル地点、蘇我入鹿の首塚とされる五輪塔の目の前にあります。
調査区の北半分に広がっている大き目の石敷きの真ん中に、直径2メートル程度の石を取り除いた部分がありまして、そこには直径1.5メートルの穴が掘られていた事が分かりました。
ところがこの穴の深さは0.4メートルと、大きさの割には浅いとの事です。
ここが饗宴の場に使われていたとしたら、穴の部分に何らか石造物などが置かれていたのではと、推測はあるようですが、今のところはこれという決定的な事を言える状況ではないようです。
その東側(画像では左側)の首塚の近くでは、半分以上が調査区の外にはなりますが、更に大きな3メートルはある穴が見つかりました。
こちらは深さにして1.7メートルはあるようですが、いつ掘られた物かの特定はできていないそうです。
いずれにしても今回は現地見学会で大まかな状況説明をして頂いただけなので、遺物展示などもしていない状況ですし、来週の報告会での発表を待った方が良いのかもしれません、と言っても私は行けないのですがσ(^◇^;)
調査はこの後も周辺で続くという事なので、更に大きな発見がある事を期待しましょう。
ここ最近、明日香村教育委員会は現地では見学会に留め、後日に報告会の形で詳しい説明をしてくれるという念入りな方法で、調査結果を紹介してくれています。
今回も九日に中央公民館で調査報告会をするそうですが、私は生憎と用事がありまして遠出をしなければなりません(/_;)
さて、現場はこのように石ばかりです。
よく見ますと大きめの石を敷いた所と、ごく細かい砂利を敷き詰めた所に分かれています。
発掘場所は飛鳥寺の西門跡の西側40メートル地点、蘇我入鹿の首塚とされる五輪塔の目の前にあります。
調査区の北半分に広がっている大き目の石敷きの真ん中に、直径2メートル程度の石を取り除いた部分がありまして、そこには直径1.5メートルの穴が掘られていた事が分かりました。
ところがこの穴の深さは0.4メートルと、大きさの割には浅いとの事です。
ここが饗宴の場に使われていたとしたら、穴の部分に何らか石造物などが置かれていたのではと、推測はあるようですが、今のところはこれという決定的な事を言える状況ではないようです。
その東側(画像では左側)の首塚の近くでは、半分以上が調査区の外にはなりますが、更に大きな3メートルはある穴が見つかりました。
こちらは深さにして1.7メートルはあるようですが、いつ掘られた物かの特定はできていないそうです。
いずれにしても今回は現地見学会で大まかな状況説明をして頂いただけなので、遺物展示などもしていない状況ですし、来週の報告会での発表を待った方が良いのかもしれません、と言っても私は行けないのですがσ(^◇^;)
調査はこの後も周辺で続くという事なので、更に大きな発見がある事を期待しましょう。
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