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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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二基並んだ家型石棺橿原市菖蒲町の『菖蒲池古墳』といえば、史跡指定こそは昭和の始めに行われ、開口した横穴式石室に二基の家型石棺が並んでいる主体部で有名です。
しかし史跡指定されているのは、石室と羨道部に当たる辺りだけで、つい最近まで古墳の範囲どころか墳丘の形すら不明でした。

橿原市教育委員会が周辺の調査を始めたのは、平成21年からだそうで、これまでの調査によって東西長が約30mの二段に構築された方墳だという事が分かりました。
古墳の南側は、後世の地滑りや開発で破壊されていて残りは悪いようですが、東西と北側のラインでは基底部に並んだ石や、その外側に広がる石敷きが確認されています。

今年度は墳丘の東の外側と、北東角と考えられる位置に調査区を儲け、正確な墳丘の大きさを確認する調査となっていました。

北東角の検出と掘割掘割の埋土の様子

菖蒲池古墳もこの時代の横穴式石室の常、南向きの斜面に南を向いて開口しています。
斜面を切り出す形で墳丘の東西のラインを決めて掘割を作ります。
この掘割が、開口部の南側では4m近い幅を持って石も敷かれていたそうですが、一番奥(北東)の角ではそこの幅が30センチ程度にまで狭まっています。
しかしこの部分はとても保存状況が良く、綺麗に直角に据えられた基底石が残っているのが確認されています。

断面写真の右側が墳丘なのですが、斜面がカラフルなモザイク上に見えるのは、色の違う土をわざわざ貼り付けているためだそうです。
掘割も後の時代に人為的に埋められているようで、断面を確認してみると埋土の単位までが分かる箇所もあって、かなり奇妙の様相を呈しています。

外堤上の柱穴跡と石敷き一方、墳丘の東側では、掘割から出た土を盛り上げてつき固め(版築)て堤状の平坦部を造っています。
こちらの画像が東側の調査区で、調査員の背後に見えるのが、新聞などでも報道されていた新たに見つかった石敷きです。
本来ならば外提で古墳の範囲は終了という形になるのですが、その外に石を敷いたテラスを造っているので、更に外側も意識している事になります。

ところで調査員の足元には、掘方が1m近い柱穴が並んでいます。
これは石敷きや掘割が埋められた跡に掘られていて、東西に三つ、南北に三つがT字状に並んでいるので、掘立柱の建物が建てられていたと考えられます。
同じ建物のものと思われる柱穴は掘割の脇でも検出されていて、東西四間以上はあり、柱の芯々間は3mもあるので、相当な規模の建物のようですが、伴う土器などの出土がないようなので具体的な事は不明です。

今年度の調査は、あと二週間程度で終了との事ですが、行く行くは墳丘周辺も市有地(県かな)として公園整備する予定だそうです。
 
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