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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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このところのサボタージュは、いつものサボり癖もあるのですが、実は半缶詰状況に自分を追い込んでいるためです。
例によって自分で締め切りを切って、何やら書いている訳で、その追い込み状態にあるというところです。
本当だったら今日は、東大寺の解除会に朝から行こうと思っていたのですが、仕事は進まず、おまけに寝不足……つい、ロンドンオリンピックの開会式を眺めておりました。
奇妙なセレモニーだなぁと思ったのは、子供ホスピタルとファンタジーの世界の演目……
好みの問題なんでしょうけど、何かイギリスの文化って独特の暗さがあるのねぇ……その辺、チョッと苦手かも(゜.゜)

東大寺西塔の辺りにいた鹿私の好みなんざ、さて置き、相変わらず分からないでお茶を濁そうとしている事が多々出て来ます。
その一つが『駅鈴』というヤツ……

こいつは早馬の使者に貸し出される物で、街道の一定の距離ごとに置かれた『駅』という中継施設で、これを見せなければ換えの馬やら食料やらももらえないし、休憩さえさせてくれなかったというパスポートのような物です。
天皇崩御などに当たって固関の使者を出すとなれば、最低でも三人が一時に出て行く事になるので、それから考えても、数は一つや二つではなく、複数あったようで、使者の階級によって貸し出される鈴も違っていたようです。

天平十七年九月に難波宮に行幸した聖武天皇が、そちらで病気になり、一時は危篤状態にまで陥った可能性もあり、十九日に“使を遣して、平城宮の鈴・印を取らしむ”という状況になります。
この時には更に、全ての孫王も難波宮への参集を命じられます。
印は天皇の御璽と太政官印ですから、一つずつあれば良いはずなのですが、鈴(駅鈴)となるとどのくらいの数があって、どう管理していたんでしょう……別に、それを書く必要もないのですがσ(^◇^;)

ところで平城と難波の間にも駅はあったはずで、この時、天皇の不予を伝えに平城に送られた使者は、やはり駅鈴を所持していたのでしょうか?
この程度の距離ならば、馬も換えずに一気に走った……可能なの(・・?
それとも、もしもの時の事を考えて、行幸に幾つかは持って行く決まりでもあったのか、陪都の難波にも常備されていたのか……本当に、どうでも良い事にこの度も引っかかっておりますε-( ̄ヘ ̄)┌
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