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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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かなり以前より常々思うのは、橘諸兄という人は案外、過小評価されているのではないかという事です。
チョイト奈良時代辺りに詳しい人の言い分ですと、天平九年の豌豆瘡流行で藤氏四家の主を始めとした太政官構成員の多くが病没した後、棚から牡丹餅で大納言から右大臣に推挙された人。
異父妹の光明子皇后に持ち上げてもらって出世した人。
この言い分、必ずしも間違いではないんですけどね……ε-( ̄ヘ ̄)┌

この御仁が葛城王と名乗った時代を見てみますと……
四世王として無位から従五位下に叙位されたのが27歳の時、特に早い訳でもなく極端に遅い訳でもなく、というところでしょう。
従四位下をもらったのは41歳、左大弁になったのが46歳でこの時は既に正四位下です。
そして参議に任命されたのは48歳、翌年には従三位にまで上っていますから、かなりのエリートコースを歩んでいる事は確かです。

興福寺南円堂前『右近の橘』天平八年十一月、母親が賜った橘宿禰の姓を弟と共に引き継いだ時は53歳でした。
そして翌九年の八月、壊滅的となった太政官再編に当たって大納言に抜擢、十年の正月には正三位右大臣に就任します。

さて、私の書く話の中にもこの御仁は度々、登場してくれます。
総体的な評価は、
「天皇の片腕として穏健派と言われながらも、時には容赦なく政敵を追い落として断罪して来た老獪な為政者」 by白壁王
ただ今、この御仁は浅慮な愚息の行いに苦慮しつつも、部下の白壁王に無理難題を要求しております。
この要求を白壁王の息子達は、後々まで曲解して、既に故人となった諸兄の事を仇のように見る羽目になります。

諸兄の愚息といえば、かの橘奈良麻呂……うちでのこの御仁のキャラクターは、割合にセオリー通り?(゚_。)?(。_゚)?
山部王が吉備泉を「いつかぶん殴る!!」と思っているのに対し、白壁王は橘奈良麻呂を「遣唐副使にでも任命して、諸手をふって送り出してやる……」と根に持っていたりしますσ(^◇^;)
それなのに、白壁王は大臣(諸兄)の事を決して嫌っていないんですね……何故なんだ(・・?

いずれにしても、現在の白壁王(37歳)には、決して越えられない大きな壁のような存在となっています。
何せ天平十七年現在、橘宿禰諸兄は62歳の従一位左大臣、官界の頂点に君臨して八年になろうとしていますから。
そういう訳で、この御仁は紛う事なき大物政治家の一人です。
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