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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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称徳・道鏡政権下での藤氏の№2は誰なんだろうと、昼間から何となく考えておりました。

南家の豊成右大臣に返り咲き、その後を北家の永手が続いていますが、これは天平神護元年までの事です。
豊成の薨去後のトップは右大臣に就任した永手で、その後を追うのが年子の同母弟である大納言真楯なのですが、真楯が亡くなった後は誰なんでしょう。
官位から見ますと、式家の蔵下麻呂が従三位なのですが、この人の破格の出世は天平宝字八年の乱での功績によるもので、政治的な手腕はまた別物です。
そういえば、以前にここのどこかの記事で、奈良時代に若い三位などいないと書いたような気がするのですが、蔵下麻呂は三十そこそこで従三位になっているので、例外中の例外だと思います。

それはさて置き八年の乱の後、官位で見て行けば式家の宿名麻呂が正四位上となっで一歩リードしていますが、この人は同時に大宰帥にも任命されていますので、地方に一旦出されているようです。
そうすると次に続くのが、先日から問題にしている南家の縄麻呂となります。

この人は豊成の正妻の息子なので、考えてみれば藤原南家嫡流筋です。
あまり表に出て来る印象の無い人ですが、若い頃から侍従を務め、永手以上に女帝の近くにいる人かもしれません。
この人も式家の雄田麻呂と並んで、矢鱈に官職を兼任しています。
天平神護二年に近江守に任命された時の兼任官を見てみますと、参議民部卿勅旨大輔侍従となっています。
まぁ、藤氏のこの世代のエリート達は、大抵が二つ三つの職を兼任していますが、縄麻呂雄田麻呂は特に多いように見受けられます。

何かやはり、この二人って共通点があるような気がするんですよね。
もしかして後世の伝承に見える、百川(雄田麻呂)が行ったという陰謀の何割かは、この人がやった事もしくは、かなりのウェイトで関わっているなんて事はないのでしょうかねぇ……
考えてみても、あまりに縄麻呂という人の正体は、『続日本紀』などには書かれていないんですよね……
内室、息子、娘の一人も分からないのですから、本当に捉えようがない……
もう少し、周辺を見回して何かヒントでもないか探してみませんとε-( ̄ヘ ̄)┌

……にしても、真鯛の荒だきの食べすぎで胸焼けがする( ̄Д)=3
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