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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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木津川を昔は『泉川』と呼んでいたのは、歌でも有名だと思いますが、この周辺の地名はかつては何といったのでしょうか。
『続日本紀』には度々、『甕原離宮』の名前が見えるので、甕原(みかのはら・万葉集では三香原)の地名が一般的なのでしょうか。
天平十三年閏三月九日、“平城宮の兵器を甕原宮に運ばしむ”と見えますが、この甕原宮は離宮の事なのか、新たにこの地に造られた王宮の事なのか良く分かりません。

恭仁宮の名前は十二年の最後、東国行幸の最終目的地として見えていますが、この名前も便宜的に書かれているようです。
何せ正式に『大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおほみや)』の名前が付けられるのは、十三年の十一月二十一日の勅ですから、それ以前に何と呼ばれていたかははっきり書かれていません。


ところでかなり一般的に流布していない名前に『布当宮(ふたぎのみや)』があります。
この名前は万葉集にのみ見えるせいか、私の頭の中ではいつも端っこの方に追いやられていて、話の中で使った事さえ忘れていて、先ほども読み返して思い出すような始末です。

甕原離宮の場所は木津川の南岸、現在の木津川市加茂町法華寺野の辺りにあったと考えられます。
字名から分かりますように、ここには昔、山背国分尼寺がありました。
一方、国分寺のある場所は元の恭仁宮、木津川の北岸です。
木津川を挟んで北が『布当』、南が『甕原』だったのでしょうか?

それにしても“みかのはら”に比べると、“ふたぎ”という名前の響きは、どうも田舎臭くてイケてませんわねぇ……あくまでも私の好みの問題ですが。
やっぱり『布当宮』という字面が良くないのもあるのかしら……
『甕原宮』に統一した方が良いかなぁε-( ̄ヘ ̄)┌

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