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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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今日もつまらない疑問(-_-;)

寺院に賓客がやって来て住持が歓待するとします。
現在であれば本房とか寺務所とかに、来客用の場所があると思うのですが、昔々にはどうだったのでしょう?

ていかかづら時は天平十六年の冬、場所はいつものように大和の金光明寺、住持は良弁師で、客人は玄蕃頭です。
初っ端から分からないのは、この時の金光明寺にどのような施設があったのか(゜.゜)
現在の東大寺の上院地区の一部が、この寺のはずなのですが、この頃にはまだ観音堂(二月堂)や手向山八幡宮はありません。
当然ながら金堂(大仏殿)や講堂、東西の塔も戒壇院もありませんので、現在の中心伽藍の辺りは山野だったかもしれません。

そもそも、この時の金光明寺には何人くらいの僧侶がいたのでしょう?
金鍾山房が出来た時には九人の僧侶が選ばれ、天平十三年の国分寺建立の詔の後に大和国分寺となったのならば、少なくとも二十人の僧侶が住む事になりますので、それなりに大きな寺だったのだと思います。
では、住持の良弁師はこの寺の何所にいたのか……まあ、僧房のどこかに住んでいたのでしょう??
その僧房はどの辺りにあったのでしょう……(・・?

現在、東大寺の上院地区に行っても良く分かりますように、寺の各施設は山の麓から中腹にかけて広がっていますが、金光明寺の頃には、山の中腹が中心だったのでしょう。
本尊のおられる御堂が僧房や食堂よりも下にあったとは思えませんので、元々のこれらの建物は、後には他の施設に建て替えられたと思われます。
いずれにせよ、住持らが朝廷からの客人を迎えるのは本堂ではないと思うので、僧房や食堂のどこかで良いのでしょうか……やっぱり分からない?(゚_。)?(。_゚)?
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