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何の本命かと聞かれますと、称徳女帝が皇位を譲ろうとした相手です。
間違ってもチョコレートを贈る相手ではありません……つまらぬ事は言わない(*_*(○=(・_・o)
最近の文献屋の先生方が、一番妥当だと考えているのは他戸親王で、うめぞーとしてもこれに反論する気はありません。
これの立役者は、まあ、藤原北家で良いんじゃないかな。
そうすると、神護景雲三(769)年の宇佐八幡宮の神託騒ぎは何なのだろう?こういう疑問が湧いてきます。
一般的に言われているというか、『続日本紀』に書いてある内容によりますと、大宰府の主神(かむつかさ・祭祀を行う者)が「道鏡法王を天皇位につければ、天下は大平になる」というお告げをでっち上げます。
その真偽を確かめるために、輔治能真人清麻呂(ふじののまひときよまろ・後の和気清麻呂)が宇佐八幡宮に派遣されます。
ところが清麻呂が持ち帰った応えは、「天つ日嗣には必ず皇諸の人を立て、無道の人は早く掃除せよ」というものでした。
これに道鏡が怒り狂い、清麻呂とその姉を配流したとあります。
ここで怒っているのは道鏡法王で、女帝とは書いてありません。
しかしこの事件のあらましを記した条文の前にある詔で、清麻呂と姉の法均が偽りを告げたと、尋常ならざる口調で激怒しています。
本当にこの二人、同じ内容に対して怒っているんでしょうか?
故意に何かが省かれているのでは?
例えば女帝が宇佐の大神に問いたかったのは、道鏡を皇位につけるなんて内容ではなく、全く別の人を指名しての答だったのか?
さもなくば皇位継承ですらなく、全然別の事なのかも??
どうもこの時代を書くに当ってのうめぞー的セオリーには、『皇家の最大の敵は皇族』というのがあるので、弓削氏なんて河内の田舎者では据わりが悪いんです。
諸臣がクーデターを図るにしても、常に掲げる御旗は諸王なんですよね。
だから女帝にしても藤氏や他の氏族にしても、自らに都合の良い日嗣を推そうとしているんです。
では、女帝に都合の良い日嗣とは?
結局、誰が称徳女帝の本命かという疑問に戻ってくるのでした。
他戸王なのか、別の王なのか……これが判断の分かれ目(-_-)