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相変わらず、桓武朝初期の人事を眺めております。
とにかくこれでもかという数の人事改正が行われているような気がするのですが、これも一種のトリックかもしれません。
先日にも書きましたが、この頃から五位の人達が多くなりすぎているのか、それ以上のポストに兼任官が多いためなのか、本来は六位や七位の人達が着くべき官職に、従五位下(上)、外従五位下程度の官人が着けられています。
史料に記されるのは、基本的に五位以上ですから、とにかく五位の人が増えているのは確かなのでしょう。
それにしてもここでよく見える名前があります。
藤原氏は勿論なのですが、紀氏、佐伯氏、石川氏、文室氏って、前朝でも、こうも多かったかしら?
それから真人の姓の人も多いですね。
これは孝謙天皇の頃から、皇孫やその子供らに賜姓して臣下に下ろす傾向が増えているせいでしょうかねぇ?
真人姓の人のみでなく、皇族も割合に多いような気がします。
気のせいかと思ったのですが、やはり桓武天皇は皇族や紀氏(父方の祖母の家)の人々を官界で活躍させる事で、王権の支えの一つとしようとしたのでしょう……やっぱり前途は多難という見方が、かなり大きく圧し掛かっていたんだよね(・_・;)
藤原氏に関して言うと、何となく南家寄りのような気がするんだけど、これはどうなんだろう?
別の方面からも眺めてみませんとねぇ。
画像は内容と関係なく、大和高田市内のお寺にあった幕末期の石仏です。
葛城地域らしく『役行者』ですね。
地蔵菩薩ほどではありませんが、この辺りでは時々見られます。
とにかくこれでもかという数の人事改正が行われているような気がするのですが、これも一種のトリックかもしれません。
先日にも書きましたが、この頃から五位の人達が多くなりすぎているのか、それ以上のポストに兼任官が多いためなのか、本来は六位や七位の人達が着くべき官職に、従五位下(上)、外従五位下程度の官人が着けられています。
史料に記されるのは、基本的に五位以上ですから、とにかく五位の人が増えているのは確かなのでしょう。
それにしてもここでよく見える名前があります。
藤原氏は勿論なのですが、紀氏、佐伯氏、石川氏、文室氏って、前朝でも、こうも多かったかしら?
それから真人の姓の人も多いですね。
これは孝謙天皇の頃から、皇孫やその子供らに賜姓して臣下に下ろす傾向が増えているせいでしょうかねぇ?
真人姓の人のみでなく、皇族も割合に多いような気がします。
気のせいかと思ったのですが、やはり桓武天皇は皇族や紀氏(父方の祖母の家)の人々を官界で活躍させる事で、王権の支えの一つとしようとしたのでしょう……やっぱり前途は多難という見方が、かなり大きく圧し掛かっていたんだよね(・_・;)
藤原氏に関して言うと、何となく南家寄りのような気がするんだけど、これはどうなんだろう?
別の方面からも眺めてみませんとねぇ。
画像は内容と関係なく、大和高田市内のお寺にあった幕末期の石仏です。
葛城地域らしく『役行者』ですね。
地蔵菩薩ほどではありませんが、この辺りでは時々見られます。
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