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並大抵でないものを得ようとする時、捨て去るもの、失くすものはどれ程あるんだろう……何やら深遠な命題ですが、このような事を相も変わらず風呂に入りつつ考えておりました。
例として考えていたのは、いつものようにうちのスメラミコト(~_~;)
何せこの御仁の得たものは、他者が決して手にする事の出来ないものですから並ではありません。
史書に現れる物事以外にも、かなりのものを諦める事になったのかもしれません。
こんな他愛もない考察とはかなり方向が違うのですが、この御仁が捨てたものとして非常に大きなものがあります。
それは親王宣下もしくは立太子する以前の人生、これが史書からはほぼ失われています。
まあ、恐らくは故意に失くしたのでしょうが。
これはこの御仁の父親にしても同様です。
こちらは太政官入りするより以前が、ごっそりと消されていますから。
もう一人考えていたのが藤原百川についてなのですが、この人の場合は二人の天皇とはパターンが全く違います。
経歴や何かが削られている可能性は無しとは言いませんが、むしろ亡くなった後に事実とは信じきれないような、奇怪としか言えない悪い方の伝承が加わってしまったのはどうしてなのでしょうか?
後の伝承として百川が行ったとされるような、奇妙奇天烈な陰謀の類、果たして何かの根拠があるのだろうか……こいつがもう一つ考えていた事です。
もしかしたら別の人が行った何かが形を変えて、百川の仕業とされている、それも別の事件に付随するような事かもしれない、こんな可能性を考えていたのですが、今のところ根拠は全くありません。
これより一旦、書く方を休みまして、再度資料検討に入ろうかと締め切りを切り直しました。
称徳天皇から光仁天皇の御世、太政官や官界の上層部を取り巻く連中のプロフィールをもう一度洗い直す事から始めませんといけません。
藤氏にしても南家と式家にばかり注目していたけれど、もう一度北家の連中も見直してみましょうっと。
他にも胡散臭そうな人が何人もいますからねぇ……堅物そうな顔をして、何を考えているのか分からない石上宅嗣とか、大中臣清麻呂とか(ーー;)
本日、試掘で地味に当たりまして……来月からもしかしたら久々の現場になりそうです。
四月、五月と遊びすぎたので、来月からは少し公私共々に仕事をせねば(-_-;)
今日はとにかく眠くて沈没寸前なので、頂きましたメールの返事は明日にでも致しますm(__)m
重ね重ね申し訳ありませんm(__)m