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開山は天文七(1538)年、地元に勢力を張っていた当麻氏によると記録にあるそうです。
本来は今の場所よりも北東に、かなり広大な伽藍を構えていたようですが、江戸時代以降に現在の場所に移転し、今では本堂一棟のこじんまりとした、真言系の寺院となっています。
こちらの本尊が、この丈六の弥勒如来坐像で、寺よりもはるかに古く、11世紀の初頭の作ではないかとされています。
本来がどこの寺の本尊だったのかの記録は無く、これだけの見事な像がこうして現在まで引き継がれ守られ続けたのは、地元の人々の信仰心の賜物といえましょう。
桜と思しき広葉樹の一木造、江戸時代に修復を受けているそうで、金箔も貼りなおされ、螺髪も鮮やかな青紫に塗られているので、かなりインパクトの強い仏様です。
外れた白毫は木製で膝元に置かれていましたが、10年位前に見に来た方の話では、水晶らしき白毫が額にあったとの事……その方の記憶違いでなかったら、さて、どういう事かε-( ̄ヘ ̄)┌
ともあれ、弥勒如来像は昨年の三月に奈良県の重要文化財として指定を受け、このたび、県と市の補助を受けて本堂の修復もする運びとなったため、本尊には一旦、お移りを願う事と相成りました。
引越し先は奈良国立博物館の仏像館です。
10月4日からの公開になるそうで、本堂の修理の終わる二年後に帰って来る予定だそうです。
機会のある方は、常設展示ですから是非とも拝観に行って下さいm(__)m
私が見ていたのは、梱包作業から……
文化財関連の美術梱包といえば、日本通運です。
和紙や晒で仏像全体を包み込んだ後、木枠で囲みまして、数人がかりで運び出します。
ところがお寺は環濠集落の中にあるので、周辺の道が狭く、路地のような処を入って行かなければなりません。
搬出の時も途中までは人が持ち上げて、表の通りでようやく台車に乗せて、更にトレーラーが駐車出来るだけの広い道まで、慎重に運んで行きました。
このたび、奈良県が中国の西安市の博物館で埴輪の展覧会を行う事になりまして、県内の市町村にも協力を仰いで、形象埴輪の優品を出品してもらいます。
そういう訳で、大和高田市からは池田遺跡出土の楯持人埴輪と靫を背負った武人埴輪が出かける事となりました。
こちらも搬送は日本通運の美術梱包の方々です。
眺めておりましても、実に鮮やかと申しますか、手際良く、ごく普通に使うようなクッション材を駆使して、綺麗に梱包してくれました。
やっぱりプロの仕事は違うなぁ(・_・;)
来月の始めに上海経由、陸路で西安市まで向かうという事でした。
こちらはチョッと遠すぎて、簡単に見に行く事は出来ませんねσ(^◇^;)
ところでどうでも良い話……
明日はようやく晴れそうなので、久々に墓参にでも行こうかなぁ~( ̄▽ ̄)。o0○
と言っても、いつもの御陵巡りですけどね、家の墓参りはチョイト遠すぎる( -」)φ
その内、御朱印帳でも買って来て、朱印ならぬ御陵印を畝傍管区事務所にもらいに行こうかと、何とな~く考えております。
まぁ、春日宮天皇陵や崇道天皇陵の印はないと思いますけどね?(゚_。)?(。_゚)?
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