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これは現説の現場に示されていた、西側石室に有ったはずの、羨道と玄室を仕切る石製扉の復元図です。
今は失われた扉石は、古墳から少し離れた神社で加工転用されている事が確認されています。
ここに書かれているのは素盞鳴命神社と八咫烏神社の物だけですが、もしかしたら春日神社にもあるらしいと聞きました。
しかし、未だに確かめに行っていないので、取り敢えずは現説の後で見てきた物だけでも。
半分以下のサイズにカットされ、ほぞも切り取られていますが、見た様子では竜山石のようで、手前の石や階段に使われている花崗岩とは明らかに違います。
階段は新しいようで、この踏石の幅で造られているようですね。
ちなみに難波型の狛犬は、和泉砂岩だったと思います。
真ん中辺りに写っている半分黒くなったツートンの石がそれです。
八咫烏神社の物も角を面取りしているなど加工が見られますが、この石もそれらしい事を行っているように見えます。
角を落としているのは、扉の時に加工されたままです。
そして素材は、やはり竜山石のようです……ってのか、セットなので当たり前なんですがσ(^◇^;)
大和に石なしと言われるそうで、中和の平野部では案外、大きな石の調達には困ったようで、古墳の石室などが露出していたりしたならば、長年の内に持ち出されて二次的に利用される事も多かったようです。
その典型が、郡山城の石垣だったりするのですが(^_^;)
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