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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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何もなさそうな窪地?相変わらず下手くそなパノラマ写真を載せて、何を見つけてみようなどとほざいているのやら?
空の色が途中から変わっておりますが、この場所は大仏殿の西側から戒壇院の方向に下がって行く窪地です。
取り立てて何があるという訳でもなく、鹿が草を食んでいる光景に出くわすようなだだっ広い場所です。
私の記憶が正しければ、右手方向の斜面の辺りに盧舎那仏鋳造のための遺構があるはずです。
そういうあいまいな記憶で、何を探せというのやら……

先日に『紫香楽宮跡(甲賀寺跡)』に行きまして、あの丘の上に立っていて考えていた事の一つが、この鋳造遺構の事なんです。
この場所から見ると、金堂(大仏殿)の場所は山裾の小高くなり始める辺りに位置します。
鋳造の技術者たちは、この斜面を利用して鋳造炉を設けて銅を鋳溶かす事を考えたのでしょう。
紫香楽でも、同じプロジェクトチームがその作業に当たろうとしていたはず、やはり金堂を丘の上に持って来て、裾部に炉を設け、斜面に吹き付ける風を利用して鋳造を行う計画を立てていたかも知れません。

見落としそうな小さな社です。まぁ、私はこういう技術的な分野にはかなり暗いので、具体的にどういう条件の場所に炉を設ければ効率的に作業が行われたかが、とっさには分からない状況です。
ともあれ、このような未曾有の鋳造作業に携わったのが、半島出身の人々だそうです。

大仏鋳造の長官は国中連公麻呂という人で、この人の祖父は天智二年に百済より渡って来た国骨富、まさに白村江、周留城の敗戦の後に国を失って渡って来た人です。
公麻呂はこの功績により、他の造寺にも携わったばかりではなく、造東大寺司次官にまでなっていますので、技術屋としても実務屋としても有能な人だったのでしょう。

大仏殿の東側斜面の石段を登ったところに、このような赤い鳥居が見えます。
この小さな神社は『辛国神社』もしくは『天狗社』とも呼ばれるそうで、すぐ近くの売店の御主人に伺ったところ、大仏造営に関わった渡来系の技術者を祭った神社だとの事でした。
気をつけていないと通り越してしまいがちで、訪れる人もあまりいない様子ですが、少しばかり心引かれる場所である事は間違いありません。
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