×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
馬場南遺跡の現説の後、すぐ近くの『岡田国神社』に寄ってみました。
JR関西本線に乗ると、この神社のすぐ脇を通るので、いつも気になっていたんですね。
国道24号線沿いには真新しい赤い鳥居が立ち、関西本線の線路をまたぎ越す参道が延びていて、少し高い位置に新しい神社の建物が建てられていますが、その少し下には江戸時代や明治時代の古い建物が残されています。
境内に入ると真ん中に神楽舞台があるのですが、その両脇に氏子詰め所の二間×六間の仮屋が建ち、社の前には幅の広い拝殿が建っています。
この配置は相楽郡に伝わる形態ですが、これを残している神社はかなり少なく、この古い建物群が保存されているそうです。
既に神様は新しい社に移られているという事になるので、この建物群の正面は線路でふさがれ、かつての参道も使われなくなっています。
ところで本殿は同じような春日造りの一間社が二つ並んでいるのですが、よく見ますと扉の数が違うんです。
この写真では格子越しで全く分かりませんが、左側の社には二つの扉が並び、右側の社は三つの扉があるんですね。
御祭神は生国魂命、菅原道真公、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇というところでしょうか、少なくとも天満宮と八幡神社が合祀されているのは分かります。
由緒としては、斎明天皇五年に生国魂命を祭ったのが最初とされているそうです。
ところで社務所脇の方にあった燈篭には『岡田恭仁神社』と刻まれていました。
この辺りは説によっては、恭仁京の右京の南端にかかるらしいので、『恭仁』の字を当てるのもあながち適切なのかも知れません(^^ゞ
この神社の背後の山は、馬場南遺跡、つまり『神雄寺』の背後山にもなります。
水源となるこの『天神山』は、今も昔も神奈備山に等しい存在だったのかもしれません。
JR関西本線に乗ると、この神社のすぐ脇を通るので、いつも気になっていたんですね。
国道24号線沿いには真新しい赤い鳥居が立ち、関西本線の線路をまたぎ越す参道が延びていて、少し高い位置に新しい神社の建物が建てられていますが、その少し下には江戸時代や明治時代の古い建物が残されています。
境内に入ると真ん中に神楽舞台があるのですが、その両脇に氏子詰め所の二間×六間の仮屋が建ち、社の前には幅の広い拝殿が建っています。
この配置は相楽郡に伝わる形態ですが、これを残している神社はかなり少なく、この古い建物群が保存されているそうです。
既に神様は新しい社に移られているという事になるので、この建物群の正面は線路でふさがれ、かつての参道も使われなくなっています。
ところで本殿は同じような春日造りの一間社が二つ並んでいるのですが、よく見ますと扉の数が違うんです。
この写真では格子越しで全く分かりませんが、左側の社には二つの扉が並び、右側の社は三つの扉があるんですね。
御祭神は生国魂命、菅原道真公、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇というところでしょうか、少なくとも天満宮と八幡神社が合祀されているのは分かります。
由緒としては、斎明天皇五年に生国魂命を祭ったのが最初とされているそうです。
ところで社務所脇の方にあった燈篭には『岡田恭仁神社』と刻まれていました。
この辺りは説によっては、恭仁京の右京の南端にかかるらしいので、『恭仁』の字を当てるのもあながち適切なのかも知れません(^^ゞ
この神社の背後の山は、馬場南遺跡、つまり『神雄寺』の背後山にもなります。
水源となるこの『天神山』は、今も昔も神奈備山に等しい存在だったのかもしれません。
PR
この記事へのコメント