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天理参考館におられる御方です。
御覧のように立派な王冠を被っていますので、何処から見ても王様でしょうσ(^◇^;)
下げ美豆良を結って、珠のついたネックレスをして、顔にはペインティングもしてます。
右手の先や腰の部分、脚の一部は失われていますが、水玉模様の衣を着て、腰には大刀を佩いて、胡坐をかいて座っておられます。
もしかしたら幅広の、模様の入った帯でも締めていたかもしれません。
この具体的で凝った人物像からすると、多分、六世紀の初頭に関東地方で造られたと思われます。
ちなみに後姿は、このような具合です。
下げ美豆良の人物が、このように後に髪を垂らしている例は、割合に普通に見られます。
このやや素っ気ない後姿を見ておりますと、この埴輪は、正面感を重視して造られたのかしらと、何となく思ってしまいます。
恐らくはかなり昔に出土した者でしょうから、どの古墳のどの辺りから、どのような状況で出てきたかは判らないのではないかと思われます。
周辺にどのような形象埴輪や人物埴輪が、どのように配置していたのかが分かれば、この御仁が何者か、更に具体的に分かるのでしょうが……
御覧のように立派な王冠を被っていますので、何処から見ても王様でしょうσ(^◇^;)
下げ美豆良を結って、珠のついたネックレスをして、顔にはペインティングもしてます。
右手の先や腰の部分、脚の一部は失われていますが、水玉模様の衣を着て、腰には大刀を佩いて、胡坐をかいて座っておられます。
もしかしたら幅広の、模様の入った帯でも締めていたかもしれません。
この具体的で凝った人物像からすると、多分、六世紀の初頭に関東地方で造られたと思われます。
ちなみに後姿は、このような具合です。
下げ美豆良の人物が、このように後に髪を垂らしている例は、割合に普通に見られます。
このやや素っ気ない後姿を見ておりますと、この埴輪は、正面感を重視して造られたのかしらと、何となく思ってしまいます。
恐らくはかなり昔に出土した者でしょうから、どの古墳のどの辺りから、どのような状況で出てきたかは判らないのではないかと思われます。
周辺にどのような形象埴輪や人物埴輪が、どのように配置していたのかが分かれば、この御仁が何者か、更に具体的に分かるのでしょうが……
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うめぞーが胡坐す