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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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飛火野の鹿今年の正倉院展は先週に見て来たのですが、時間が無くて図録を買っていなかったので、今日の夕方にようやく購入して来ました。
さすがに最後の土日ともあって、ミュージアムショップや常設展も、いつに無く混雑しておりまして、今年も盛況振りが窺えるというところです。

ところで文書類を眺めて見ますと、毎年ながら有名人の名前が出てきまして、何やら嬉しくなるものです。
今年も造東大寺長官や次官の名前や自著が見えました。
ただし、初代長官たる『市原王』の場合は、天平宝字二年の伊賀国柘殖郷(つむえごう)での、土地売買に関する文書に名前が現れております。
十町ほどの土地を東大寺に売り渡しているのですが、この土地、西南角が『藤原夫人』の土地に接しているようで、何やら柘殖郷と皇家の関係が伺えるような(~_~)?
他には『佐伯今毛人』『坂上犬養』(ただし、自著はなし)『高麗大山』などの名前を見る事が出来ました。

最後の方で、奉写一切経所の報告の断簡を接いだ文書が出ておりました。
ここでのテーマは、明治以降に『神護景雲二年御願経』とされていた経文の多くが、宝亀六~七年に書写された『今更一部一切経(いまこういちぶいっさいきょう)』だという事が判明したという研究成果の一環です。
内容は写経生からの成果報告でして、最後に勘会した事を示す『勘 大伴浄人』の署名が幾つか見えています。
この御仁は宝亀年間の写経所での中間管理職というところでしょうか、写経生に同様、正史にはまず現れない人の一人です。
正倉院文書には、そういう有名人が何人もいるのだそうです。
もっとも有名な御仁は『上馬養』さんです。

ところで宝亀六年といえば、良弁大僧都は二年前に遷化していますから、既に『親王禅師』の勢力がかなりのものとなっているのでは……
この写経事業にも、親王禅師の意見というか陰が深く射しているような……たあいのない妄想?( ・◇・)?(・◇・ )?
 
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