忍者ブログ

うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

HOME Admin Write
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

紀伊半島にこれでもかと雨を降らせてくれた台風は、そろそろ温帯低気圧になったのか?まだなのか?それじゃなくとも、次の台風が来ているってのに!
山間部はかなりの被害があったようですが、奈良県の平野部はひたすらの長雨という様子でした。
御心配頂きまして、ありがとうございます……というのも何となく変な日本語のような気がしますが。

興福寺の鹿ども今日は雨がやむかと思えば、朝から結構な土砂降り、橿原から南は警報が出ていたみたいです。
雨だろうと風だろうと、取りあえず仕事に出かけまして、今日は単純な作業をしていたので、何となくどうでも良い事を考えておりました。

それは光仁天皇の三番目の親王(私の設定では四番目)の稗田親王の事。
この人は早良親王よりも一つ年下で天平勝宝三年生まれ、父親が即位した宝亀元年には二十歳になっているはずです。
十一月六日に兄の山部親王、姉の能登内親王、妹の酒人内親王が品位を得ているのに、この人の名前が見えず、六年の二月にようやく、無位から四品になっているのが見えます。
早良親王の名前が見えないのは、既に10年も前に出家しているからだと思いますが。
稗田親王の母親が誰かと言いますと、あのいささか当てにならない『紹運録』には、尾張皇女とありまして、井上皇后の子供たち以外で唯一、皇族の母親から生まれている事になるんですね。
そういう訳で、かの超胡散臭い『水鏡』には、他戸親王の廃太子の後、藤原浜成が皇太子に推したと書かれております。

この人、天応元年に31歳の若さで亡くなりますが、どうやら少なくとも四人は子供がいたようです。
ところが『続日本紀』に出てくる記事は、四品への叙位、三品への叙位、薨去の三回だけです。
何でまた、ここまで影の薄い人なんでしょう?
続日本紀の常(?)、都合の悪いところは削った??
もしそうならば、この親王の何が都合が悪かったんでしょう???
例えば、生まれつき、何らかのハンディがあったとか????

古代社会では王となる人は、先天的であれ後天的であれ、ハンディを負っていてはその資格を失くすというのは、結構当たり前に見られた事だと聞いた事があります。
既に律令円熟期の奈良時代、やはりこのような不文律はあったのでしょうか?
もしもあったとしたら、さて、この親王はどのような立場にしようかしらねぇ……
多分、直接には登場しない人だから、概ねの事を決めておくだけで良いのですけれどね。
PR
この記事へのコメント
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
明日は歴史作家!

カレンダー
11 2024/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

お天気情報

-天気予報コム-

最新コメント
[02/06 賀茂史女]
[02/05 うめぞー]
[02/02 賀茂史女]
[01/30 うめぞー]
[01/30 マム]

ブログ内検索

メールフォームです
今日の参考に

Copyright ©  -- うめぞー、思案中 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by 押し花とアイコン / Powered by [PR]
 / 忍者ブログ