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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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紀伊半島にこれでもかと雨を降らせてくれた台風は、そろそろ温帯低気圧になったのか?まだなのか?それじゃなくとも、次の台風が来ているってのに!
山間部はかなりの被害があったようですが、奈良県の平野部はひたすらの長雨という様子でした。
御心配頂きまして、ありがとうございます……というのも何となく変な日本語のような気がしますが。

興福寺の鹿ども今日は雨がやむかと思えば、朝から結構な土砂降り、橿原から南は警報が出ていたみたいです。
雨だろうと風だろうと、取りあえず仕事に出かけまして、今日は単純な作業をしていたので、何となくどうでも良い事を考えておりました。

それは光仁天皇の三番目の親王(私の設定では四番目)の稗田親王の事。
この人は早良親王よりも一つ年下で天平勝宝三年生まれ、父親が即位した宝亀元年には二十歳になっているはずです。
十一月六日に兄の山部親王、姉の能登内親王、妹の酒人内親王が品位を得ているのに、この人の名前が見えず、六年の二月にようやく、無位から四品になっているのが見えます。
早良親王の名前が見えないのは、既に10年も前に出家しているからだと思いますが。
稗田親王の母親が誰かと言いますと、あのいささか当てにならない『紹運録』には、尾張皇女とありまして、井上皇后の子供たち以外で唯一、皇族の母親から生まれている事になるんですね。
そういう訳で、かの超胡散臭い『水鏡』には、他戸親王の廃太子の後、藤原浜成が皇太子に推したと書かれております。

この人、天応元年に31歳の若さで亡くなりますが、どうやら少なくとも四人は子供がいたようです。
ところが『続日本紀』に出てくる記事は、四品への叙位、三品への叙位、薨去の三回だけです。
何でまた、ここまで影の薄い人なんでしょう?
続日本紀の常(?)、都合の悪いところは削った??
もしそうならば、この親王の何が都合が悪かったんでしょう???
例えば、生まれつき、何らかのハンディがあったとか????

古代社会では王となる人は、先天的であれ後天的であれ、ハンディを負っていてはその資格を失くすというのは、結構当たり前に見られた事だと聞いた事があります。
既に律令円熟期の奈良時代、やはりこのような不文律はあったのでしょうか?
もしもあったとしたら、さて、この親王はどのような立場にしようかしらねぇ……
多分、直接には登場しない人だから、概ねの事を決めておくだけで良いのですけれどね。
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