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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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ここまで書いた分を何となく読み直していて、
「どうして御身は、そうも自らを過小評価しておるのか」
とか何とか、藤原仲麻呂が白壁王に言っておりました。
これって、白壁王自身に限った事じゃなくて、現代の古代史の先生らにも言えるんじゃないかと、私は常日頃思っております。
いや、積極的に評価できない要因があるんですよね、研究者には……( -」)φ
この御仁が何もしていなかったような人ではないと、結果論からは言えても、証拠が何所にも無いんですからねぇ……

俺はナタ今更ですが、私のような見てきたような嘘八百で勝負した戯けには、こういう人がかなり重宝します。
白壁王が言うには、この家(志貴親王家)の兄弟は諸王らの内では厚顔無恥だと囁かれている云々……もしかして、これも過小評価の一環かな?(゚_。)?(。_゚)?

現在書いている話では、官界に二大派閥が存在しておりまして、そいつが皇后派と大臣派です。
皇后は藤原光明子、大臣は橘諸兄ですが、志貴親王家の連中がどちらに属しているかと申しますと、概ね前者です。
諸王から見れば、皇家出身でない皇后に孫王が媚びているとしか思えないんでしょう(゜_゜)

この家の四人兄弟については、ほぼ史料はありませんので九割九分がハッタリです。
病身の長兄はそろそろ官界引退を考え、次兄は中央政権が嫌で地方官ばかりを歴任、この二人は白壁王から見れば父親の年齢です。

一番の現役で活躍しているのはすぐ上の兄、湯原王です。
この人が皇后宮大夫なんてやってるのだから、臣下出身の皇后を快く思っていない諸王らには、これほど恥知らずな輩もいないのかも……ε-( ̄ヘ ̄)┌

実際の湯原王という人のプロフィールは殆ど分かりません。
生没年も不明ですし、母親が誰なのかも分かりませんので、同母の兄弟姉妹がいるかも分からないし、妃が誰で何人の子供がいたかも不明です。
壱志濃王が第二子で、尾張女王という娘がいた程度は不確かながら史料に見えまして、湯原親王という記述が見える事から白壁王の即位時までは存命だった可能性も指摘されています。
志貴親王の皇子として名前が出て来るのは万葉集のみで、続日本紀には叙位の記録どころか名前も出てきませんので、故意に削ったのではとすら思えてきます。

そのような訳で、私の話に出て来るこの御仁も、名前だけを借りたようなオリジナルキャラクターに近い存在といえるでしょうσ(^◇^;)
そして確実に言えるのは……万葉集に見える歌からの印象は、全くの無視、目指せ悪党路線?(゚_。)?(。_゚)?
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