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そのようにのたまわれてお出掛けになったのは聖武天皇です(゜_゜)
天平十二年から十六年の初めまでに、留守官を置くという記述のある行幸が、実に十回ほどあります。
留守官の人数は一人しか書かれていない時から、数人の名前が連なっている場合まで、かなりばらつきがありますが、割合に高位の人、つまりは大臣から参議、閣僚クラスの人が多いようです。
実はこの時に、常連的に名前の見える方がおられます。
まぁ、置かれている立場とか、天皇の個人的な都合や好みを鑑みても、何となく多くなる理由も分かるような……σ(^◇^;)
そういう訳で複数回、名前の見える方を上げてみましょう。
二回 : 橘諸兄(左大臣) 大伴牛養(兵部卿)
三回 : 藤原仲麻呂(参議・民部卿) 紀飯麻呂(右大弁)
四回 : 藤原豊成(参議・兵部卿) 巨勢奈弖麻呂(中納言)
七回 : 鈴鹿王(知太政官事)
いけませんわねぇ……このような面子が並ぶと、とにかく滅茶苦茶物騒な妄想が沸いて来てしまいますわ(@_@;)
北宮王家はまだ、ある意味健在なのね、そして十数年後を見よって……( -」)φ~
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