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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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相も変わらず柏原陵です。

今日も墓参と言う態度ではない……『日本後紀』の大同元年の記述に寄れば、桓武天皇の墓所として『山城国葛野郡宇太野をもって山稜地となす』と見えています。
今の右京区宇多野辺りだろうという事ですから、仁和寺の近くでしょうか?
どうも京都の地理に疎くていけませんが、京福電車の駅にありましたよね、『宇多野』って?

ところが墓所を定めた後に、点け火と思しき山林火災、月食、鳴動現象などが続いたため、恐れをなした皇太子が再び墓所の選定をやり直させて『山城国紀伊郡柏原山陵』に埋葬を決め、更に半年後に同じ柏原の別の御陵に改葬したとされています。

この時、宇太野の墓所が賀茂神に近く、この社が災いを成していると疑われる云々と理由を述べています。
現在の賀茂の社といえば、『上賀茂神社』、『下鴨神社』共に左京区にあるのは周知の通りです。
どうして右京区辺りに御陵を造ろうとしたら、賀茂の神様が怒ったのか……
これって、もしかして現在の『蚕の社』の事じゃないのか?????

このような事を昨日、『糺の杜』でボヤ~っと考えておりました。
京都とはイマイチ相性の悪い私が、何となく相性が良い場所の一つが、この『糺の杜』のある『下鴨神社』と『元糺の杜』のある『蚕の社』こと『木嶋坐天照御魂神社』です。
まぁ、養蚕や繊維産業に携わる方々の信奉を集めると同時に、奇妙な三角に組み合わさった三つ脚鳥居でかなり有名です。

摂社に『蚕養神社』があるために『蚕の社』の通称で呼ばれ、秦氏のテリトリーという印象が凄く強いのですが、どうしてこの社の杜が『元糺の杜』なのか……嵯峨天皇が下鴨に糺の杜を移したから?(゚_。)?(。_゚)?
だから、『糺の杜』って本来が秦氏の信仰対象だったの?
そもそも、秦氏も賀茂氏(賀茂県主氏)もどういう関係なの?
この疑問に、どなたかが長く縁戚関係を結ぶような間柄だったと教えてくれた事があったのですが、未だに不勉強で確かめておりません。

私は十数年前から時々思い出したように“鴨と鴉のドツボ”というやつにはまるのですが、鴨は葛城の賀茂朝臣、鴉は山城の賀茂県主の事です。
この二つの氏族をゴッチャニしている人が、すっごく多い……
以前に陰陽師ブームなんてやつがあった時、暦道の賀茂朝臣氏(後の幸徳井家)を山城の賀茂氏に結び付けて、奇妙な事を言う大学生くらいの子がやたらにおりましたっけ……ε-( ̄ヘ ̄)┌
こちらは間違いなく、葛城の賀茂朝臣です。

ちなみに私のドツボは、どうして山城の賀茂氏が葛城と自らを結びつけるような事を考えたのか、こちらの疑問です。
こいつに秦氏(蚕)が加わると更に複雑になって来そうで、これを称して“鴨と鴉と蚕のドツボ”と勝手に命名しております。
……葛城の賀茂氏と大和の三輪氏の関係までを考え合わせると、更に収集がつかなくなります。

それはそうと、今日は羽曳野の『壺井八幡宮』やら『河内源氏三代の墓所』に行き、夕方からは薬師寺の『最勝会』にも行きましたので、そちらの写真も整理せにゃ……またも阿呆ほど写して来た奴がいる(ーー;)
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