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羽曳野市の『壺井八幡宮』で行われた百々手式が昼前に終わったので、せっかくなので周辺の史跡なども見に行って参りました。
『壺井八幡宮』はかなり以前に車で来たきり、周辺に何があるかも良く知りませんが、案内板には少し離れた所に『河内源氏三代』の屋敷跡や創建した寺跡、墓所があると紹介されていたので、好天の下、フラフラと歩いて行きました。
こちらがまず、源頼義公のお墓です。
頼義公といいますと、『前九年の役』の発端を作った一人という印象がありまして、別に陸奥の安陪氏や藤原氏に思い入れもへったくれも無い私でも、何となく良くない方のイメージが先行してしまいます。
それはともあれ、頼義公は自らが創建した『通法寺』の本堂の下に葬れと遺言をし、後に同じ境内の現在の場所に改葬されたそうです。
墓所の扉には笹竜胆の家紋が刻まれていますが、墓石も全体的に新しく整備されたという印象ですね。
中世寺院は全くの門外漢ですが、こういう所に来るととにかく地形が見たくなるのが私の病気(-_-;)
背後や横の竹やぶなんぞ覗いて、斜面を人為的にカットして、この辺から盛り土をして一段あげて……なんて眺めていても、傍から見たら筍泥棒に見えるかもσ(^◇^;)
馬鹿はさて置き、そこから少し離れた高台には息子の源義家公の墓所があります。
こちらは『後三年の役』の張本人?
しつこく言うと、私は出羽の清原氏にも、陸奥の藤原氏にも思い入れはありませんよ。
この場所はすごく良い……妙な第一印象ですが、多分、相性が良いのでしょう。
思わず、その辺の切り株に座って暫くボ~っとしていました。
こちらは周囲をブドウ畑に囲まれていて、ビニールハウスの中で作業をしている人から、逆に眺められていてチョッと落ち着きませんわ……(~_~;)
この方は源満仲公(多田満仲)の三男ですから、頼光公(摂津源氏の祖)の弟ですね。
満仲公と言えば『安和の変』に暗躍する曲者……(ーー;)
頼信公は摂関家に仕えて、『平忠常の謀反』を平定した方だそうです。
どこかで聞いた名前だと思ったら、ここに出てくる訳ですわね……マジ、この辺の歴史、すっかり忘れてます(゜.゜)
勿論、主人公はお公家さんですけど、特殊技能保持者(?)の受領階級で、お兄ちゃんが蔵人の五位なんぞになって、喜んで関東の方の国守をやっていて、お姉ちゃんは皇太后に仕える女房で、お父さんは筑紫大好き、大宰少弐に戻りたい、理系技術職(?)のお祖父ちゃんの後を継いだのは、この主人公一人だけ……変な家族構成(-_-;)
この人が年をとってからの話に、八幡太郎義家公やら鳥海三郎宗任公やら出て来るんで、嫌でも頭に入っていたはずなんですけどねぇ……(/_;)
ところでこの写真は、江戸時代の隆光大僧正のお墓だそうです。
何でも五代将軍綱吉と共に『生類憐みの令』を出した方だそうです。
で……何なの、この供養塔の形?
暫く眺めていて、ようやく宝篋印塔の成れの果てだと分かりました。
こちらはただ今、瓊花(けいか)が花盛り、明日まで公開しています。
そちらはまたカテゴリーを改めて紹介しますが、こちらでも墓参をして参りました。
鑑真大和上の御廟所です。
拝観者も多く、正面から写真を撮るのは何となく気が引けたので、横に廻りまして。
開山忌は来月ですね……久々に行こうかしらねぇ(-_-)