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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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茶畑に囲まれた山陵春日宮天皇田原西陵』、この山陵の右手背後に広がる山は親王山というそうです。
風水という観点で見たとき、これ程適った地形も稀という墓所の主は志貴親王です。

この画像に見る、真っ直ぐな参道は江戸時代に、この御陵を整備した時に切り通されたのだそうで、本来の谷の入り口は約90度東に振れた方行にあります。
そう考えると、現在の御陵の正面と、かつての正面は異なっている事となります。

この辺りは、うめぞーが年に何度か出没する場所ですが、ここを始めとした奈良時代の墓所の他に、何を見に行く訳ではありません。
奈良市の田原地区は、先般、河瀬直美監督の作品の舞台にもなったので、以前よりも訪れる人が増えたらしく、観光客を迎えるような場所もあるらしいので、暖かくなったら出かけてみようかと考えています。

山陵らしからぬ場所にあります。『光仁天皇田原西陵』、かつては『オウノツカ』と呼ばれ、西に開口した石室が確認されていたといいます。
こちらが宮内庁が指定した、光仁天皇の改葬後の御陵です。
続日本紀によれば、最初は広岡山陵に葬られたのですが、崩御の翌年には息子の桓武天皇によって、新たな墓所の選定がされています。

広岡町という字名は奈良市の北東部、京都との県境近くにありますが、奈良文化女子短大の来村多加史先生によりますと、山稜の営まれたのはこのような場所ではなく、聖武天皇陵などと同様に佐保だったのではないかと推測されています。

元明天皇陵以来見てきたように、奈良朝の天皇は佐保近辺に御陵を造っています。
しかし王朝交代を意識した桓武天皇は、父帝の御陵を父祖の眠る田原に移したのかもしれません。
そういう訳で、志貴親王ファミリーの墓所は田原にあるって事なのかな?
例えば、春日王、湯原王、海上女王、安貴王、市原王、能登内親王、難波内親王……他多数?
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