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御遠忌法要の結願は法華寺の厳修で行われました。
天平宝字四(760)年六月七日に光明皇太后は崩御しますが、一周忌斎会は翌年の同日、阿弥陀浄土院で行われています。
この院は皇太后の斎会のために法華寺の西南隅に造営したと『続日本紀』に書かれています。
現在の平城宮跡に復元されている東院庭園の東側の田んぼや畑の下に、この院の遺構は埋もれています。
発掘によって、曲線を描く州浜を持つ池や、それに面した堂らしき建物の遺構が検出されて、一部が史跡として指定されています(もちろん遺構は土の下ですが)。
そして東大寺での法要の結願も、法華寺から御出でになった、三十人近い尼僧の方々によって行われました。
前二日の東大寺の御僧侶とはかなり趣きが違うと申しましょうか、やはり女性が行う梵唄や念仏などは、男性とは違った柔らかさや伸びの良さがありますね。
法衣も紫の上に黄色系の袈裟をまとっておられる方々ばかりで、見た目にはやや大人しめですが、それがかえって凛としていて楚々とした雰囲気で、なかなか良いものです。
講師は、久我高照門跡、
讀師は、樋口教香副住職が勤めて下さいました。
それにしても門跡さんも、それなりの御年になられているので、輿に乗って御出でになり、杖をつかれて歩いておられました。
高座に着かれる時も、リフトを使われていて、何とも勿体ない、申し訳ないなぁと、不信心者のうめぞーも恐縮をしておりました。
不信心ついでに申しますと、私はどうも不勉強でして、合殺という法要が良く分かっておりません。
御僧侶が列になって、お堂の中などを念仏を唱えながら巡って、散華を撒く……というような、光景しか思い出せず、具体的にどのような趣旨の事をされているのか、皆目説明ができませんσ(^◇^;)
どなたか、こちらに詳しい方がおられましたら、是非とも分かりやすく御教授願えれば幸いです。
この日の舞楽も『振鉾(えんぶ)』以外の二曲は、何れも女性の舞人が勤めておられました。
『振鉾』も三節目のみ、左右の舞人が一緒に舞台に上がって鉾を振っていました。
そして左方の平舞『北庭楽(ほくていらく)』
右方の平舞『狛桙(こまぼこ)』
『狛桙』は渤海との交易船に乗っている船人を表した舞で、舞人の持つ五色に彩られた長い棒は船の櫂です。
この舞を女性が勤めているのを拝見するのは、実は私、初めてです。
それにしても、南都楽所もなかなか美人が多いです( ̄▽ ̄)。o0○
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