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昨日、書こうと思っていたのですが、つい、どうでも良いような話題にしてしまいまして、こいつを本気で描き始めると、究極、作者の物語作り自体を批判する事になりますので、まぁ、適当なところで後編に譲ります……って、来週も愚痴る気なのか??
さて、日曜日は東大寺で『菩提僊那1250年遠忌法要』が行われました。
10時からと聞いていたのですが、衆僧が大仏殿に到着したのは20分以上経ってからでしたか、その前に天皇殿での法要があったようです。
正直に申しまして、大安寺よりもこちらの方が、全体に地味で厳かな感じで行われておりました。
多分、一般の参列者と御僧侶の距離の違いなどもあるのでしょうか。
この日の行道の伶人は、しっかり南都楽所が勤めておられました。
勿論、セレモニー的な時代行列もなし、大勢の僧侶と主賓の方々のみです。
これはこれで、正統的なのかな(・_・;)
さて、この日は奈良も染井吉野の満開、天気も良く暖かく、観光客も大勢詰め掛けておりました。
八重桜も、そろそろ三部から五部咲きでしたので、月、火曜日の暖かさで、今頃は更に開いているのではないでしょうか。
この日は南大門を入ってすぐ右側にある『聖武天皇殿』の特別開帳もありまして、こちらで聖武天皇像、行基大僧正像、菩提僊那僧正像が揃って拝観できました。
ここに良弁僧正像も加われば『四聖御影』になるんですけれどね(^。^)
ちなみに行基大僧正の御像は、いつも鐘楼の近くの行基堂に納められていますので、休みの日などには時々拝観できます。
菩提僧正の御像はどこに安置されているのかは知らないのですが、聖武天皇像は先日に話題にした像です。
そういう訳で、五月二日まで待たなくても一月近く早くに、お会いできました。
しかし相変わらず私の頭の中では、この方は済深法親王なんですよねσ(^◇^;)
もう一つついでに、良弁僧正は開山堂に常におられますが、一般にお目見えするのは十二月十六日のみです。
さて、日曜日は東大寺で『菩提僊那1250年遠忌法要』が行われました。
10時からと聞いていたのですが、衆僧が大仏殿に到着したのは20分以上経ってからでしたか、その前に天皇殿での法要があったようです。
正直に申しまして、大安寺よりもこちらの方が、全体に地味で厳かな感じで行われておりました。
多分、一般の参列者と御僧侶の距離の違いなどもあるのでしょうか。
この日の行道の伶人は、しっかり南都楽所が勤めておられました。
勿論、セレモニー的な時代行列もなし、大勢の僧侶と主賓の方々のみです。
これはこれで、正統的なのかな(・_・;)
さて、この日は奈良も染井吉野の満開、天気も良く暖かく、観光客も大勢詰め掛けておりました。
八重桜も、そろそろ三部から五部咲きでしたので、月、火曜日の暖かさで、今頃は更に開いているのではないでしょうか。
この日は南大門を入ってすぐ右側にある『聖武天皇殿』の特別開帳もありまして、こちらで聖武天皇像、行基大僧正像、菩提僊那僧正像が揃って拝観できました。
ここに良弁僧正像も加われば『四聖御影』になるんですけれどね(^。^)
ちなみに行基大僧正の御像は、いつも鐘楼の近くの行基堂に納められていますので、休みの日などには時々拝観できます。
菩提僧正の御像はどこに安置されているのかは知らないのですが、聖武天皇像は先日に話題にした像です。
そういう訳で、五月二日まで待たなくても一月近く早くに、お会いできました。
しかし相変わらず私の頭の中では、この方は済深法親王なんですよねσ(^◇^;)
もう一つついでに、良弁僧正は開山堂に常におられますが、一般にお目見えするのは十二月十六日のみです。
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