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昨日は一日中雨天、特に夜半や明け方には土砂降りという有様でしたから、果たして17日の天気はどうなることやら……
しかし朝起きてみれば日が射しておりました。
雲はかなり低く、また降り出すかもと、折りたたみの傘を持って出かけました。
行き先は奈良市本子守町、率川神社です。
『率川』と書いて『いさがわ』と読みますが、奈良県民でも、この神社の名前を読めない人は結構います。
本日は率川神社の例祭『三枝祭』、またの名前を『ゆりまつり』ともいいます。
ゆりまつりと言うだけあって、ささゆりの花が多数奉納され、四人の巫女がゆりの花を手に神楽を舞うのがとても有名です。
実は私、このお祭に行ったのは初めてでして、あまり詳しい事が分かっておりませんσ(^◇^;)
御祭神が媛蹈五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)ですので、ゆりは神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)の妻どいに関係しているのだと思います。
詳しい事は、神社のHPにありますので、そちらを御参照下さい。
率川神社の創建は推古天皇の元(593)年とされ、三枝祭も起源も奈良時代以前にまでさかのぼれるようです。
私の見ていた場所からは殆ど御祭典の様子は見えませんでしたが、境内の狭いのもあって、殆どの人が同様ではないかと思います。
そのような訳で、各所にモニターが用意され、それを見てようやく少しばかり進行が分かるという状況でした。
これはこれで、ありがたい配慮です。
それにしても大多数の人は、巫女さんの神楽を見に来ているようで、これが終了して玉串奉納となると、少しずつ人が減って行きました(^_^;)
かく言う私も、ここで逃げ出してしまいました……
午後からは七媛女(ななおとめ)やゆり姫の行列が華々しく行われるそうで、神社での神事よりもこちらの方が有名なのかもしれません。
ただし私は、別のところに用事があったので、行列は見ておりません(-_-;)
ところでこのお祭、かなり古い形式を残しているようで、二枚目の画像のモニターで二人の神職が運んでいる御棚(みたな)は、黒木という枝を組み合わせて作られています。
これは春日大社の『春日祭』で、御勅使たちが神前に食事を奉る時に使う棚と同じです。
最後の画像は、ひがしむきアーケードにある南都銀行本店の、歳時記紹介のディスプレーに飾られていた御棚です。
『黒木の案(御棚)』とプレートにありますが、案とは机の事です。
上に乗せられた『折櫃』には、『特殊神饌』と呼ばれる神様へのお食事が、土師皿に乗せられて並んでいます。
この櫃の蓋が下に置かれていますが、柏の葉で造られています。
確か仁徳天皇紀に、大后の磐之姫命が熊野に出かけ、そこで祭祀に使う柏の葉を採って帰ろうとしたのですが、天皇が新たな妃を迎えたと知って、その葉を海に投げ捨てたというエピソードがあったはずです。
柏の葉を杯にして、祭の酒を飲むような事も聞きますし、古い祭には柏の葉もつき物なのでしょうか。
しかし朝起きてみれば日が射しておりました。
雲はかなり低く、また降り出すかもと、折りたたみの傘を持って出かけました。
行き先は奈良市本子守町、率川神社です。
『率川』と書いて『いさがわ』と読みますが、奈良県民でも、この神社の名前を読めない人は結構います。
本日は率川神社の例祭『三枝祭』、またの名前を『ゆりまつり』ともいいます。
ゆりまつりと言うだけあって、ささゆりの花が多数奉納され、四人の巫女がゆりの花を手に神楽を舞うのがとても有名です。
実は私、このお祭に行ったのは初めてでして、あまり詳しい事が分かっておりませんσ(^◇^;)
御祭神が媛蹈五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)ですので、ゆりは神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)の妻どいに関係しているのだと思います。
詳しい事は、神社のHPにありますので、そちらを御参照下さい。
率川神社の創建は推古天皇の元(593)年とされ、三枝祭も起源も奈良時代以前にまでさかのぼれるようです。
私の見ていた場所からは殆ど御祭典の様子は見えませんでしたが、境内の狭いのもあって、殆どの人が同様ではないかと思います。
そのような訳で、各所にモニターが用意され、それを見てようやく少しばかり進行が分かるという状況でした。
これはこれで、ありがたい配慮です。
それにしても大多数の人は、巫女さんの神楽を見に来ているようで、これが終了して玉串奉納となると、少しずつ人が減って行きました(^_^;)
かく言う私も、ここで逃げ出してしまいました……
午後からは七媛女(ななおとめ)やゆり姫の行列が華々しく行われるそうで、神社での神事よりもこちらの方が有名なのかもしれません。
ただし私は、別のところに用事があったので、行列は見ておりません(-_-;)
ところでこのお祭、かなり古い形式を残しているようで、二枚目の画像のモニターで二人の神職が運んでいる御棚(みたな)は、黒木という枝を組み合わせて作られています。
これは春日大社の『春日祭』で、御勅使たちが神前に食事を奉る時に使う棚と同じです。
最後の画像は、ひがしむきアーケードにある南都銀行本店の、歳時記紹介のディスプレーに飾られていた御棚です。
『黒木の案(御棚)』とプレートにありますが、案とは机の事です。
上に乗せられた『折櫃』には、『特殊神饌』と呼ばれる神様へのお食事が、土師皿に乗せられて並んでいます。
この櫃の蓋が下に置かれていますが、柏の葉で造られています。
確か仁徳天皇紀に、大后の磐之姫命が熊野に出かけ、そこで祭祀に使う柏の葉を採って帰ろうとしたのですが、天皇が新たな妃を迎えたと知って、その葉を海に投げ捨てたというエピソードがあったはずです。
柏の葉を杯にして、祭の酒を飲むような事も聞きますし、古い祭には柏の葉もつき物なのでしょうか。
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