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万葉集ではおなじみの人の歌でも。
奈良市北御門町の思惟山五劫院の庭にある、山上憶良の歌碑です。
五劫院といえば、いつぞにも書きましたとおり、龍松院公慶上人の御墓のある寺で、御本尊の五劫思惟の阿弥陀仏で大変有名です。
……で、何故この御寺に憶良の歌碑があるのかはよく分かりません(-_-;)
水沫(みなわ)なすもろき命も 栲縄の千尋にもがと願ひ暮らしつ 巻第五-902
この歌は独立した歌ではなく、
老いたる身に病を重ね、年を経て辛苦(たしな)み、及(また)児等を思ふ歌七首-長一首短六首
という題がついている一連の歌の、六番目(短歌では五番目)の歌です。
更には
天平五年六月丙申朔三日戊戌に作る
と脚注もありますが、天平五年は憶良の亡くなる年です。
この歌碑を立てたのは『奈良市に万葉歌碑を建てる会』という会で、ここでリンクを張ったサイトでも、この歌碑や歌の意味は紹介されているのですが、何故この歌をこの場所なのかが分かりません。
実を申しますと山上憶良に関しては、私は殆ど無知でして……四十を過ぎて遣唐使として日本に帰ってきた後に、初めて頭角を現し(それ以前は無位だったらしいです)、『日本書紀』、『類聚歌林』の編纂に関わったとか、聖武天皇の皇太子時代の教育係の一人だったとか、その程度しか知りません。
とにかく歌を作れば、貧乏は辛いぞ、家族は大事だぞ……というような類が多くて、私の興味範疇からかなり外れる人なのですから、今までも殆ど具体的に調べた事がありません。
これらの歌、少なくとも五位をもらう以前の若い頃の作品か、それを思い出しての追想のような気が致します。
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