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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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朱雀門前の一等地この調査の現地説明会が行われたのは、実に十日前……9月15日の土曜日の事ですσ(^◇^;)
『平城京左京三条一坊一坪』は、二条大路沿いの朱雀門からわずか数十メートル、正真正銘、間違いなく一等地です。

何でもここには、『平城宮跡展示館(仮称)』という施設の建設を国土交通省が予定しているのだそうで、奈良文化財研究所が2010年から継続的に調査を行っています。
その結果、やや変わった構造の大型井戸や、かなり広い範囲い広がると思われる鍛冶工房、巨大倉庫かと思われる総柱の建物跡、そして予定通りに一坪の内を南北に区切る坪内道路も見つかりました。

今回も23基の鍛冶炉が検出されました。今回の調査では、先に検出された鍛冶工房の範囲を確認するために一坪内の北端に、二坪との間を通る『三条条間北小路』の検出をするために南端に調査区を設けました。

この画像が北側の調査区です。
先の調査で見つかった炉群の北西側に、新たな炉が23基見つかったそうで、それを覆う建物にもなりそうな柱列や、排水のためのも検出されています。
炉の北側の柱列(東西方向)は、二条大路の南側溝から2メートル程度しか離れていないので、建物になる可能性は大きそうです。
ところで、炉は直接に火を焚くので焼けて変色した土で埋まっているのですが、その傍らにはフイゴを置くための穴と、金床(石の場合が多いようです)を置く穴もあって、そのセット関係を考えて検出をする必要があるそうです。
しかし、図面で見ても、かなり分かりにくいです……何れの炉も小規模なため、釘や金具のような小物の製造を行い、時期的には宮の造成段階に稼動していたと考えられそうです。

三条条間北小路の45メートル分、見事に出ました。

こちらは南の調査区です。
一目瞭然、南北に側溝を持った東西方向の道が出て来ました。
路の幅は大体5メートル、側溝は1.5メートル幅で30センチ程度の深さが残っていました。
この画像の手前の方で、北側溝内に畦ではない四角い堀残しがあって、そこに柱穴が検出されています。
これは後の時代の建物跡の柱です。
この事からも分かるように、この溝は後に埋められて、一坪と二坪にまたがる、別のプランでの利用がなされた可能性も出てきます。

本来ならば南側溝に沿って、二坪を囲む築地塀が検出されても良いのですが、ここでは全く基壇の痕跡は確認されず、わずかに建設時の足場になる可能性の小穴列が見つかった程度でしたので、取り壊されたとも考えられます。
しかし南側溝の西端の埋土の上に瓦溜りがあったので、それが築地に関する物の可能性も否定できないとの事です。

築地に関して分かった事は、この一坪には築地がめぐらされておらず、恐らくは右京側にも広がる、朱雀門前のオープンスペースとして、後々まで活用されたようです。
例えば朱雀門まで天皇が出御して儀式を行ったり、行幸などに際してのセレモニーも行われたのかなぁ~……などと考えておりました( ̄▽ ̄)。o0○
この日は台風の影響か風が強く、朱雀門の軒に下げられた風鐸が、騒がしいほどに鳴り続けていました。

……多分、次の土曜日、橿考研の現説だと思うので、さっさと上げておかにゃと、ようやく重い腰を上げての報告の次第でしたε-( ̄ヘ ̄)┌
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