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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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 国宝薬師寺東塔の解体修理に伴い、橿原考古学研究所と奈良文化財研究所による基壇の合同発掘が行われています。 2月28日(土)、その成果の現地説明会が行われました。

 東塔は730年に造られた事が記録で分かっています。
 これは2010年の12月に写した写真です。昭和27年の解体修理で、基壇外装の石なども取り替えられてこのような姿になっていました。
 今回の解体修理では塔全体を解体した後、基壇化粧も外して、不同沈下を起こしている礎石の状況を調べる必要も兼ねて発掘を行い、今後の修理方針を検討する参考にするのだそうです。

 
    明治や昭和の修理では、基壇の本格的調査は行われておらず、今回が初めてだという事です。
この調査により基壇の外装は、創建当時が切石積(きりいしづみ)基壇、15世紀後半以降は乱石積(らんせきづみ)基壇、江戸時代には西面にだけ切石積基壇を施し(明治5年に写された写真に見える)、明治にはこれを取り払って、現在のような壇正積(だんじょうづみ)基壇にした事が判明しました。


 これらの外装は江戸期以外は壊される事なく、石敷きの犬走(いぬばしり)の部分を食いつぶして、外へと重ねられています。そのため、時代を追うごとに基壇のサイズは大きくなって行きます。
 東面の一部にはこのような、中世の石積の基壇外装が残っていました。
 基壇その物の残りも極めて良く、25層にも及ぶ入念な版築(はんちく)によって築かれている事も分かりました。版築の下の部分は粘土を突き固め、上の方は砂と粘土を交互に固めるという方法で作られています。上下で色の違いが見えるのはそのためです。
 薬師寺の建つ場所は、かつて龍神池だったという伝承があり、現在でも湧水量が多いそうです。その地下水対策として、粘土を多用したのではないかと考えられます。このようにすべて版築で基壇を築くのは、西塔、金堂、講堂も同様です。


 思いのほか残りの良いのが、創建時基壇の地覆石(じふくいし)です。石材は花崗岩(かこうがん)が多いのですが、閃緑岩(せんりょくがん)や斑レイ岩、安山岩なども交じっていて、ややカラフルです。ところが西塔では、すべて花崗岩だったそうです。花崗岩の使用は平城では珍しく、飛鳥の寺院に多く見られます。
 この画像は北西の方向から写しています。こちらのコーナーには、凝灰岩(ぎょうかいがん)の羽目石(はめいし)が残っていました。面白いのは、コーナーに来る石をわざわざ直角に削り出している事です。もう少し新しい寺院の基壇では、束石(つかいし)を置いて羽目石を支えていたと思うのですが、あまり見た記憶のない形です。更には地覆石の下にはもう一段、延石(のべいし)を廻らせる例も多いのですが、ここでは見られません。

眠くなったので、続きは明日(-_-)゜zzz…
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