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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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 久渡(くど)古墳群は北葛城郡上牧町(かんまきちょう)にあります。
南北に長めの独立した丘陵の上に造られています。
馬見丘陵の一角なので古墳の多い地域と思いきや、周囲は既に住宅地と化しています。
一番高いところにある前方後円墳の存在は以前から分かっていたのですが、3年前に画文帯神獣鏡が出土した3号墳と、重なるように造られた4号墳が見つかり、今回調査した2号墳の存在も分かって、全部で7つの古墳がある事が分かりました。

 2号墳は径16m、高さ3mの円墳です。
この画像では少し分かりにくいですが、背面カットによって掘り込まれた周濠が、かなり良く残っています。
出土した須恵器などから、7世紀中頃に造られたと考えられます。

 そろそろ終末期に入る時期ですが、まだ石郭ではなく石室が造られています。
丘陵の南端に南向きに開口した横穴式石室ですが、鎌倉時代くらいまでは石室に自由に出入りできたようで、石室内から出て来た遺物は元の位置を留めておらず、後から混入した物も多いようです。
これは奥壁側から入り口の方を見ています。
手前の大きな石は天井石の一つと考えられます。
左右にわずかな石材が残っていますが、かなり破壊されているのが分かります。

 羨道にも玄室にも、壁石も袖石も閉塞石も勿論ありませんが、掘り方や石を置いていた痕跡から両袖式の石室だと思われます。
玄室が長さ4m、幅1.9m、羨道は5mを測ります。

石室床面には厚さ20cm程度に、砕かれた凝灰岩が敷き詰められていました。
羨道部ではその下から、割られた須恵器の甕や高杯が多数出土しています。
白いブロック(凝灰岩片)の入った土が、甕の破片の上に乗っているのが分かるでしょうか。
これら須恵器は、遺体埋葬の前の儀礼に使われて壊された物だと思われます。

羨道の最南端では、このように石敷きの排水溝が見つかっています。
上が南側で、トレンチの端が墳丘の端になります。
ところで、石室に使用されている石材ですが、画像では色が飛んでしまってはっきりしませんが、赤茶色に白い筋の入る輝石安山岩という石だそうで、殆ど加工していないようです。
この石は4kmほど離れた王寺町の明神山で取れるのですが、古墳の石材としては硬すぎるので、まず使われません。
ちなみに隣の広陵町にある牧野古墳(ばくやこふん)は、花崗岩で石室が造られていますが、これが普通です。

出土遺物は撹乱の土の中から出て来た物ばかりだそうで、時代も古墳時代(円筒埴輪片)から中世(瓦器碗)までと幅があります。
2号墳の物と思われる遺物には、大刀、刀子(とうす)、琥珀製の棗球(なつめだま)、木棺に使われたらしき鉄釘、土師器、須恵器などがあります。
平瓦も十数点見つかっているのですが、使用法は不明だそうです。

文献資料などによれば、このあたりには皇室の所領があったようです。
石室の規模から見ても、かなりの地位の人が埋葬されたと考えてもおかしくありません。
発掘担当者も、被葬者が皇族である可能性を示唆しておられましたが、このあたりの事は割愛させて頂きますm(__)m
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