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十月二十九日から三十一日までの三日間、現地見学会が行われまして、私は一番混んでいないだろうと言う推測の元、初日の午後に仕事を早引けして行って参りました。
何せ、隣の市なのでσ(^◇^;)
案の定、空いておりましたし、駐車場も空いておりました。
これが前期古墳の特徴の一つです。
中期を過ぎるとこれが逆になって、前方部の方が高くなります。
関東の前方後円墳を見慣れた方には、そちらの方がおなじみかもしれません。
話題になった主体部(竪穴式石室)は後円部にあります。
新聞やテレビのニュースでは、水銀朱を全面に塗った天井石や、榛原石(で良いのかな?)を積んだ石室の様子を撮影した写真が良く用いられていましたが、現場では石室内部はあまり見えない状況です。
木棺も既に取り上げ作業が済み、割竹形の粘土床が残っているのがかろうじて確認できるような、良く分からないような……
写真のレベル調整をしたら、石が変にピンクになってしまって、下手な写真が更に見る影もないですね(-_-;)
間違っても、阿蘇の凝灰岩じゃありませんよ。
石室に用いられている赤色顔料は、少なくとも200キロを越えるだろうという程の水銀朱だそうで、かつての大和での埋蔵量はかなりのものだった事が伺えます。
今の日本では北海道ですら、採算の合うだけの量は取れないようですからねぇ。
凄いねぇ、大和水銀(・。・)
この天井石の上を今度は、ベンガラ(二酸化鉄)を練り込んだ赤い粘土で全面パックして、これでもかと避邪の色で保守(?)しておりますが、最大の敵はやっぱり盗掘、墓壙の壁にはデッカイ撹乱が見えております(-"-)
ところで今回の調査で、主体部の上に方形の壇を築いて、その周囲を『丸太垣』で囲んでいた事が判明したと言っておりましたが……この丸太をすえた布掘り(細長く掘った溝で、埴輪を据える時にも良く見られます)の写真がない?
石室の小口や天井石の写真は、不必要に同じようなカットばかり撮っているのに、一体何を寝ぼけてたんでしょう私はσ(^◇^;)
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