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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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南西から見た調査区の北側久々の難波京内での現地説明会です。
今回は、京内と推定される域の最南端もしくは、更に南側で見つかった五棟以上の大型建物です。

前日の夜から朝方まで降り続いた雨のお陰で、あちらこちらに水溜りが見え、足元もぬかるんだ中での説明会ですが、天王寺駅から歩いて数分という街中、結構、人出はあったように見受けられます。

新聞の記事では、何となく後期難波宮時期の高官の屋敷と思いたい様子が伺えましたが、如何せん、遺物らしい遺物が出ていないので、時代すらも判然としないところがありますし、高位者の屋敷なのか役所関係なのかも分かっていません。

1メートル越えの掘方の柱穴とにかく上町台地の遺跡に驚くのは、近現代の層(調査員によっては包含層扱いらしい?)を取っ払うと、いきなり奈良時代だの飛鳥時代だの、場合によっては古墳時代、弥生時代の遺構検出面になってくれる事です。
要するにメインとなる時代の包含層が殆どない・゚・(ノД`;)・゚・
奈良辺りじゃ滅多に見られない様相です。
この様な理由で遺物が殆ど出ません。

遺構は6×3間の四面にを回した建物を取り囲むように、柱列や中軸線をそろえた四棟の掘立柱建物が並んでいる事が確認されました。
何れも正方位に乗っているので、難波宮関連の時代の物と考えて間違いではないのですが、それが前期難波宮期なのか後期難波宮期なのかが分からない訳です。
それにしてもメインとなる建物の柱穴は巨大で、一辺が1mを超える規模もざらだし、柱根の径も30cmを計るので、かなりの格式の物だと推測されます。

大型の四面廂建物ところでこの遺跡の位置ですが、現在推定されている京の南辺の条路が、北側で検出されている建物の上を通ってしまうという奇妙な事が起きているそうです。
可能性としては、道がもう少し北か南にずれる、もしくは更に南に道があって、ここは2町占有以上のエリアになるかというところでしょう。
難波宮に条坊を伴う京域がある可能性が高まったのは、この何年かの事ですし、現在の復元も他の都城を参考に行っているので、まだまだ確かな事は言えないようです。

今はすっかり市街に覆われてしまった上町台地に、都の有った7~8世紀の様子を偲ばせるものは、殆ど無いと言っても過言ではありません。
北の四天王寺ですらも、度々の火災に姿を変え、伽藍配置と地下遺構だけが往時を語っているというところでしょうか。
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