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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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東石室全景 北から排水溝の暗渠と閉塞部の様子相変わらず、15日に行われた植山古墳の現地説明会の写真です。
こちらは東石室ですが、西石室と変わり映えのあるようなないような画像で申し訳ありませんm(__)m

東石室は6世紀の後半に造られたとされ、古墳の中軸線(ほぼ南北方向に向いています)に平行しています。
それに比べて西石室は、開口部がやや南東の方向に振れています。
この事からも、東石室が墳丘に伴って造られた事が分かるかと思われます。
双方を見比べてみて、如実に違うのは石棺の有無ですね。

東石室に残された刳り貫き式の家形石棺は、熊本県の宇土半島から産出する阿蘇溶結凝灰岩(通称、阿蘇のピンク石)でできています。
ピンク石は西石室で使用されている竜山石と並ぶ、凝灰岩のブランド品とされていて、これをわざわざ遠方から運んで来ているというだけでも、古墳の主がただ者ではない事が分かります。
そして刳り貫き式は、石棺の内でも最高のランクに位置しています。
2000年の調査の時、石棺内にはギッシリと土が詰まり、既にずらされていた蓋石は割れた状態で見つかりましたが、石棺の中に遺物は全く残されていなかったという事です。

東石室開口部土層および閉塞土の残存状況東石室もやはり土で閉塞されていましたが、こちらの残りはかなり良いそうで、高さは4m、東西幅10m、奥行きも4mほどもあったそうです。
上の方でU字型に開いている部分は、盗掘時に掘られたようです。
断面に排水溝の石が二列に見えていますが、右側の物は新たに作り直されているとの事です。

ところで西石室の閉塞土は二段階に分かれていて、古い方は東石室(こちらの方が西石室より古い)の閉塞土よりも先に盛られている事が、断面の様子で分かります。
そのような訳で、東石室が土で塞がれたのは、西石室が造られた後という事になります。
そして今現在も閉塞土が残っているという事は、もしもこの二つの石室の主が改葬されているのなら、墓室から主が去った後も、この墓所は留守のままで大切に保持されたという事になります。
何故このような事がされたのか、明確な答えは当然ながらありません……

この後、墳丘の上にはまた覆い屋が建てられ、公園として保存整備の作業が続けられます。
予定としては平成28年に公開される予定だそうです。
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