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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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ヒエ塚古墳はノムギ古墳と共に、大和(おおやまと)古墳群萱生(かよう)支群の北端に位置します。
主軸を東西に向けた、全長は130メートルの前方後円墳で、今までの周辺調査で、古墳時代の前期前半に作られたと考えられています。
この測量図で見ますと、周囲の田んぼや畦の状況から、大きな盾形の周濠を持つのではないかとも推測されていますが、決定的な事は今のところ分かりません。
現在では二つの古墳の間に県道が通っていて、その事前の調査を10年ほど前に行っています。
その時にノムギ古墳の周濠は確認されているのですが、ヒエ塚古墳の方は分からなかったようです。

 ヒエ塚は墳丘も含めて個々人の土地で、トレンチを開けるにも土地所有者の御理解と御協力を頂かなければなりません。
今回の調査では、後円部のややくびれ部よりの辺りに南北の調査区を設ける事ができ、周濠の規模や範囲の確認を行いました。
この写真の奥の丘が古墳の後円部で、調査区の南端から北を見ています。

こちらは調査区の北側(墳丘側)ですが、一番奥で葺石と基壇らしき高まり、更に手前で幅4mの落ち込みを検出しています。
落ち込みの深さは20cm程度しかなく、外側には後世に削られたらしい平坦部が見られます。
平坦部が外堤の名残と見ると、奥の浅い落ち込みが周濠の可能性が出てきます。
平坦部の外側には14、5mの谷状の落ち込み(二枚目の写真を参照)が見られ、これを外側の周濠と見る事も出来ますが、前期古墳では二重の周濠を持つ例はありません。

こちらが墳裾の部分です。
現代の配管を通すために撹乱を受けていますが、横長の基底石の上に人頭大の葺石が並んで残っています。
その手前の石の無い部分が基壇状の遺構で、その外側に周濠の残りらしき浅い溝が見られます。

このように調査範囲が極めて狭いために、遺構からははっきりした事が言えません。
溝から出土した土器は古墳前期から後期までと幅があり、あまり残りの良い物も見られません。
更には埴輪片が全く見られないので、墳丘テラス部などには埴輪がなかった可能性があります。
前期古墳では、墳頂部にだけ並べられる事もあるので、全くなかったとも言えないようです。

古墳は龍王山から西へと下る尾根の上に造られています。
こうして見ても、墳丘全体が傾斜地にあるように見えるのですが、前期古墳で後円部が高いので、そのように見えるだけでしょうか?
もしも傾斜地に墳丘があるとしたら、水を湛えるような盾形の周濠よりも、狭い空堀のような周濠の可能性もありそうな気がします。
いずれにしても今のところは調査範囲が狭いため、決定的な事は分からないのが現状です。
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