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5月2日、天理市で道路の事前調査で巨大な石を積み上げた石室が発見され、現地説明会が行われました。
既に盗掘され、天井石や羨道部の石の一部も失われていますが、巨大さは充分に伝わる発見です。
何度かあげ直しても、画像が横倒しになってしまいますね(゜.゜)
チョイと見苦しいですが、玄室部の石は二段積みで2.6mを計ります。
奥壁の幅は2m、下部にはベンガラが残っています。
側壁も二段に積まれ、長さは4.9mあります。
羨道部の残りは壁面で4.5mありますので、石室の残長は9.4m、かろうじて両袖式です。
床には長径30cm程の石が敷かれています。
またも横倒しです||(-_-;)||||||
羨道部床面の一部にもベンガラが見られます。
釘も多数出土しているので、木棺による追葬が行われたと考えられます。
また玄室部からは、多くの凝灰岩の破片が出土しているので、石棺が置かれていたはずです。
石室内からは13~14世紀の瓦器碗が見つかっているので、この頃に大規模な盗掘を受けて、石材も運び出されたのかもしれません。
その後、この場所は山城が築かれたそうで、この大きな溝は薬研堀のようです。
運び出し損ねた石材が、底に幾つも転がっていました。
楔の後が残った石も見られます。
上って来る途中には、山城の土塁が残っています。
所々に廓状の平坦面も見られました。
玄室部に残っていた石棺片の一番大きな物です。
平坦に削られた面には、ノミ跡も見えます。
組み合わせ式の石棺でしょうか?
石室の床面に置かれていた須恵器です。
7世紀前半から半ば位の物でしょうか。
更には大刀の部品や鉄鏃も見つかっています。
釘は羨道部の木棺の物です。
上に見える瓦器碗の破片が、盗掘のあった時期を示しています。
全体を発掘した訳ではないので、墳丘の全貌は分かりませんが、直径30m程度の円墳の可能性があるそうです。
布留遺跡や石上神宮を見下ろす位置に、石上・豊田古墳群の最末期に単独で造られた墓だという事です。
眼下の遺跡に大きな影響力を持つ、有力者が埋葬されている可能性が大きいと考えられます。
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