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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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 この瓦窯は高市郡高取町大字市尾字天満にあるので、この度の調査では『市尾瓦窯跡』と呼ばれています。
 元より表採資料として、藤原京時代の瓦の存在が知られていたので、この辺りに窯がある事は確実視されていました。奈良文化財研究所では、近辺を高台・峰寺瓦窯として、今までにも調査がされて来ました。
 今回見つかった窯は一基だけですが、北側にもう一基あった事がすでに確認されています。
 この画像は、焚口の側から見たところです。奥壁のように見えているのは未発掘の部分で、この埋土を取り除いてしまうと、天井が崩れてしまうので残してあります。その上には、煙道の穴が丸く見えています。

 天井部分は落ちているのですが、高さとしては成人男性の胸のあたりまでですね。

 焚口の右側にやや白っぽい粘土が見えますが、山の斜面のこの部分までを掘り込んでいます。燃焼室や焼成室は日干し煉瓦状の粘土ブロックを持ち送りにして、ドーム天井を築いています。横穴式石室の石積みの代わりに、粘土ブロックを積んで造っている様な状態です。そして、裏込めに白っぽい粘土を充填しています。
 このような方法で窯を造る例は珍しいそうで、工法からも土地柄からも、渡来系の技術者が関わっていたものと考えられます。

 ドーム天井の上の部分は、何層にも粘土を貼り付け、棒で突き固めて仕上げています。窯の中に水が入らないようにと、念入りに仕上げたものと思われます。このような工法は、終末期古墳の石室を造る時にも見られます。



 こちらは焼成室、瓦を入れて焼く部屋を上から見ています。横の壁が途中から、持ち送りのアーチに作られているのが見て取れます。

 この窯はおそらく三度は使われたようで、今見えているのは最後の焼成後の状況です。手前は窯の造り方を調べるために掘っていますが、左側の壁を見ると、積まれた粘土と裏込め粘土との境界がよく分かります。
 焚口と焼成室の高さを比べると、それ程の差はないそうで、途中に段は設けず、床は約15度のスロープ状に作られていると思われます。
  かなり大きな丸瓦や平瓦が並んでいますが、特筆すべき遺物は馬の下顎の歯です。歯の下に、天井を崩したと思われる焼土のブロックが入っているので、窯が廃絶した後、御供えのように、馬の頭を置いたのではないかと考えられるそうです。
 古墳時代から馬は、水に関する祭祀には使われますが、窯のように火を使う場所での類例はないという事で、極めて珍しい例です。


 更に重要な遺物としては、藤原宮大極殿に葺かれた軒丸瓦です。奈文献の分類で6273型式と呼ばれる軒丸瓦だそうで、燃焼室から一点だけ見つかりました。この瓦のおかげでこの窯は、大極殿の瓦を焼くために造られた事が証明されたという貴重な成果です。
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