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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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墳丘は宮内庁の指定エリアです。JR桜井線の帯解駅から南東方向に20分程度歩いてゆくと、今回の黄金塚古墳発掘調査現場があります。

昔使っていたロードマップには『御陵伝説地』という名称で載っていて、妙に気にかかっていたのですが、大和郡山からこの辺りまでには、舎人親王関係の伝承地が点在しているそうで、その関係で、ここが墓所という伝承が残っているそうです。

この写真ではかなり分かり難いですが、墳丘は二段構築、墳丘の北東から見ると上円下方墳に思えるのですが、この時代らしく方墳です。
時代的には既に横口式石郭の現れる頃のはずですが、こちらはかなり大きな石室を持っている事は有名だそうです。
終末期古墳への過渡期、桜井の阿部文殊院境内の石室のように、見事な切り石で組んだ石室も時には見る事が出来ます。
以前に宮内庁が調査したこちらの横穴式石室は、榛原石と呼ばれる板状摂理を起こす石材を綺麗にカットして積み上げて作られているそうです。
やはり宮内庁の行った調査では、石室の開口する南面裾に石列と石敷きが検出されています。

北側の石敷き検出今回の奈良市教育委員会の調査でも、墳丘のすそに五カ所ほどトレンチを入れたところ、このように石敷きが出てきました。
この写真では右手前の方が墳丘ですね。
裾部の石材は抜き取られた跡がありますが、その外側には少し高くなった上段と、真っ直ぐに置かれた縁石より少し下がった下段の、二段に敷かれた石敷きが見られます。

この石敷きは古墳の四面に渡っていて、南面は特に広くなっているようです。
出土した土器から、七世紀の中頃の築造と考えられるのですが、終末期古墳にせよ、このような石敷きの見られる例は他になく、石室の構造も含め、かなり得意な古墳だと言う事です。

四枚の写真を繋ぎ合わせてあるので、チョッと見難いのですが、北側中央に長いトレンチがあけられていました。
右側が墳丘裾になります。
左側に見えるスロープは外堤の裾で、これは地山を削りだしています。
この古墳の北側と東西側は、現地形を四角く削りだして外堤を残し、墳丘を造成し、その裾に石敷きを回している事が分かります。

今回は現地説明会ではなく見学会だったので、具体的な説明はなかったのですが、相変わらず報道などで取りざたされるのは被葬者です。
構築年代から推定されるに、舎人親王の墓所説は否定されているのですが、もしかしたら大化の薄葬令の後に造られたかも知れない古墳としては、かなり大きな規模の墳丘や石室を持っているのですから、並大抵の人の御墓ではない事だけは分かります(^^ゞ
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