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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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田村第現説1平城京の左京四条辺りと言いますと、割合に高級住宅地に入ります。
奈良時代の中期、ここにはかなりの有名人が、やたらに広いお屋敷を建てておりました。
奈良時代初期の大きな第宅と言いますと、左京一条二坊にあった藤原朝臣不比等の六坪にも及ぶ屋敷が有名です。
実は、今回の現説場所は、この御仁の孫に当る人の家の場所です。

『続日本紀』に田村第という名前で見えるのが、ここ左京四条二坊九~十六坪の八坪にも及ぶ、藤原朝臣仲麻呂の大邸宅です。

田村第現説2十二―十三坪は入らず六坪だという説もありますが、何れにせよこれ程に大きな第宅を造れた人は、他にいなかったと言っても良いでしょう。
かの長屋王の邸宅も四坪分だと推定されています。

さて今回は、九坪の一角をマンション建設の事前調査で発掘した訳ですが、ここからは見事に推定二間×七間の東西に長い二棟の並んだ建物跡が検出されています。
南側の建物は周囲を囲むように更に細い柱列が検出されているのですが、主殿部と柱の通りが会わない上に、あまりに細いため、四面に廂ならぬ縁側を回したような建物と推測されるようです。
何れにせよ、ここは第の中心ではなく、かつて、今回の調査地の南東(十五坪)から礎石立ちの建物跡が確認されているので、こちらが中心部と考えられるようです。

仲麻呂(恵美押勝)の死後も、ここは田村宮という名前で見えるので、没官になって何らかの施設として使われていたと推測が出来ます。

しかしこれらの建物も都が長岡京平安京に移ると、解体されて運ばれたようで、ここにも小区画の区割りがされるようになります。
それが確認できるのが、道路の遺構や東西南北に規則的に並ぶ柵と思われる柱の列です。赤い紅葉の実
いずれ更に周辺の調査が進めば、この広大な邸宅の片鱗がもう少し見えてくるでしょう。

奈良も秋の本番、観光シーズンです。
南西の方の沖合いには大型の台風が居るようですが、今日は快晴で日中は汗ばむような天気でした。
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