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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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嗚呼、今日も穴ばかり……九月一日、『平城宮跡東院地区中枢部の調査』と銘打った『平城第421次調査の現地説明会』が行われましたので、この日も蒸し暑い中を出かけて行きました。

昔は約1km四方と思われていただだっ広い平城宮に、いまや東院地区が加わって、変な形に更に広い事はいまや常識です。
この東院地区の調査の二ケ年目が今年だそうで、この先更に三ケ年続くのだそうです。

宮内は何度にも渡って様々な建物が建て替えられ、何処の遺構も一筋縄では行かないようですが、この地区は特にややこしいようです。問題:どの柱穴が一番新しいでしょう?…え~と、一番手前の大きいのです(-_-)
何せ五期に渡っての変遷が見られるそうで、それらの柱の跡の切り合いを見て、それに相応する柱列はどれで、どういう建物が想定できて、その建てられた順番はどうなっているのか……図面を取って、現場の状況と照らし合わせ、更には出土遺物なども考え合わせて……で、私たち、今、この図面のどこにいる訳?!
こういう具合になります……(-_-;)

今回は第二期に四面廂の大型建物、第四期の回廊、第五期の北面に廂を持つ大型建物などが検出されています。
二期の建物はとにかく大きくて、廂を合わせて9×4間、柱の掘方だけで150cm、深さも150cmもある、この地区でも破格の規模です。
四期の回廊は望楼かと思われる小規模な建物が付随し、門はまだ確認されていないので、このまま想定すると総延長が90メートルにもなろうかという長さが想定できるそうです。
そして五期の建物は、この地区の中軸線に乗ってきますから、この次期(楊梅宮?)の中心を成す建物になる可能性も出て来ています。

東院庭園の池この現場の更に南、東院地区の南東端には、広大な池を持つ庭園遺構が確認されていて、今では復元公開がされています。
しかし……どうしたんでしょう、行ってみたら池の水は緑色に濁って水カビが繁殖し、あちらこちらは草茫々、立木の枝葉には蛾の幼虫までついてました。
いくら真夏で雑草がすぐ伸びるとは言え、この有様はチョッと悲惨です。

いにしへの古き堤は 年深み 池のなぎさに草生ひにけり (巻第三―378)

“山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池を詠む歌一首”という表題のついた万葉集の歌さながらです。

山の形は変わっていないか?若草山は芝地ではなかったにせよ……それにしても、平城遷都1300年に当る2010年、県では様々なイベントを企画しているようですが、この大極殿地区にパビリオンは建てず、もっぱらのイベント会場になるとの事です。
ここを更に整備して遷都祭自体を一過制のお祭りではなく、恒久的な観光行事にしたいと考えているようですが、それに関わるプランナーの手腕は如何なるものなのでしょう。
県民は割合に冷めた目で見ているような気もしますが(-_-)
そして第一次大極殿朝堂院地区では、青年らが蹴鞠(?)の練習に励んでおりました。
背後に見えるのは、第二次大極殿跡、更には県庁舎、東大寺大仏殿、そして三笠山と若草山でしょうか。
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