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それは今のところ置いて起きまして、土曜日に行きました見学会の報告でも。
今年の初め頃から、東大寺の正倉院の解体修理が始まりまして、ただ今は完全に素屋根の内です。
その画像は以前にどこかで上げましたか?
正倉自体は平安時代以来、何度も修理を受けているそうで、やはり東大寺を始めとした南都の鎌倉復興時、江戸復興時にも例に漏れず、ここも大規模な修理が行われているとの事です。
しかし外側は吹きさらし状態で、暦年風化はありありと見て取れます。
それ以上に目に付くのは、三階部分から間近に見た屋根瓦の風化状況でしょうか。
そのため正面の東側の痛みが特に痛々しく目に映ります。
三枚目の画像を見て頂けば分かりますが、軒先のカーブがやや波打っています。
これは、部分的に軒が落ちかけているという事になります。
逆に裏になる西側は、瓦こそ明治大正期の物が多いようでしっかりして見えますが、やはり軒のラインは微妙に曲がっている箇所が目に着きます。
どうやら、屋根を支えているトラス構造に歪みが来ているようで、こうなると瓦の重さに耐えられなくなって軒がひずんで来るという訳です。
……が、いくら探しても創建期の物が一枚もない?
正倉院がいつ建てられたかは、記録に現れないので正確には分からないのですが、納められたのは聖武太上天皇の遺愛の品なので、太上天皇が崩御し、光明皇太后が七七忌(四十九日)に宝物を喜捨した前後と推察されているようです。
要するに天平勝宝八歳前後でしょう。
丸瓦も様子からして、創建期の物はほぼ残っていないかもしれませんが、平瓦にはそれらしき色の物が見受けられましたが確証はありません。
一見しても全体的に風化が著しく、瓦がここまで朽ちるものかと、妙な関心をしてしまいました。
平瓦の重ねもかなり大きく、半分以上が重なっているとしたら、総枚数はどれだけになるのやら……
東大寺の境内、至る所に平瓦の欠片が落ちていて、それこそ奈良時代の創建瓦から、最近の台風ででも落ちたのかという新しいやつまで見られます。
こいつらが結構、分厚く見えるんですが、散乱した欠片と屋根に葺かれた状態の物では、目が錯覚を起こしているだけかな??
この後、瓦を全て下ろして、屋根の小屋組みも補強するのだそうで、どうやら唐招提寺の金堂のように全体を解体修理する訳ではなさそうです。
しかし、素人目で見ても、新たに焼き直す瓦の数は半端ではないように思えました。
新しく作る瓦は天平時代のデザインを採用するそうで、鎌倉時代の巴紋、室町時代以降の文字瓦と、新旧がかなり分かりやすい状況になりそうです(^_^)
さて、これから後も数度にわたって一般公開が行われる予定だそうで、宮内庁のHPも時々、覗いて置くようにしなければ。
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