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このところ、ホントに更新も何もしておりませんね……書くネタが無い訳ではなく、時間の使い方の要領がとても悪い事が原因だと思われます(~_~;)
さてこちらは既に一週間前の三月十六日の事、正倉院の整備工事の一般公開に行って来ました。
第二回には行っていないのですが、今回で何が変わったかと申しますと、内部は明治時代に置かれたガラス入りのケースが完全に取り払われていた事です。
そして更には、補強のために両側から添え柱をしている様子が見て取れます。
木材の色が新しいので、良く分かるかと思います。
ちなみに手前の柱の、少し古い色の添え木は大正時代の物だそうです。
柱以上に補強の必要なのは、下がり始めていた屋根の軒で、過去に補強のために入れた小屋組みに鋼材を渡して、更に強度を強めようという工事が行われたそうです。
さて、三階部分に上ってみますと、屋根瓦はすっかり取り払われ、更に一部の土居葺(どいぶき)、野地板、裏板などを外して、垂木の間から、屋根のトラスなどが見えるようになっていたのですが、これが案外見えにくくて……(^_^;)
1/10の模型が展示されていたので、そちらと見比べて感心しておりました。
やはり瓦を外し補強も済ませたためか、第1回に見た時のように軒のラインの湾曲は解消しているように見えます。
この後に瓦を葺いて行くようですが、以前に見たように瓦ですら暦年風化の激しい状況で、かなりの枚数を新たな物に変える事になるようです。
この画像の物は天平時代の丸瓦です。
平瓦にもこの時代の物が残っていて、四枚程度を一気に作る桶巻き作りの物と、一枚ずつ型に押し付けてる来る物とが見られるそうです。
軒丸瓦も軒平瓦も一番古くて鎌倉時代なので、創建期の天平時代の物は残っていません。
どの瓦でも一番多いのは、やはり大正時代のようです。
このデザイン、軒丸は良いのですが、軒平は何となく違う時期の瓦のような……
今回は奈良時代の東大寺式の軒丸、軒平瓦を参考にして補足するそうです。
さてこちらは既に一週間前の三月十六日の事、正倉院の整備工事の一般公開に行って来ました。
第二回には行っていないのですが、今回で何が変わったかと申しますと、内部は明治時代に置かれたガラス入りのケースが完全に取り払われていた事です。
そして更には、補強のために両側から添え柱をしている様子が見て取れます。
木材の色が新しいので、良く分かるかと思います。
ちなみに手前の柱の、少し古い色の添え木は大正時代の物だそうです。
柱以上に補強の必要なのは、下がり始めていた屋根の軒で、過去に補強のために入れた小屋組みに鋼材を渡して、更に強度を強めようという工事が行われたそうです。
さて、三階部分に上ってみますと、屋根瓦はすっかり取り払われ、更に一部の土居葺(どいぶき)、野地板、裏板などを外して、垂木の間から、屋根のトラスなどが見えるようになっていたのですが、これが案外見えにくくて……(^_^;)
1/10の模型が展示されていたので、そちらと見比べて感心しておりました。
やはり瓦を外し補強も済ませたためか、第1回に見た時のように軒のラインの湾曲は解消しているように見えます。
この後に瓦を葺いて行くようですが、以前に見たように瓦ですら暦年風化の激しい状況で、かなりの枚数を新たな物に変える事になるようです。
この画像の物は天平時代の丸瓦です。
平瓦にもこの時代の物が残っていて、四枚程度を一気に作る桶巻き作りの物と、一枚ずつ型に押し付けてる来る物とが見られるそうです。
軒丸瓦も軒平瓦も一番古くて鎌倉時代なので、創建期の天平時代の物は残っていません。
どの瓦でも一番多いのは、やはり大正時代のようです。
このデザイン、軒丸は良いのですが、軒平は何となく違う時期の瓦のような……
今回は奈良時代の東大寺式の軒丸、軒平瓦を参考にして補足するそうです。
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