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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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 12月21日は朝から雨、昼も雨、夕方まで雨……
それでも奈良文化財研究所の都城発掘調査部では、飛鳥藤原第179次調査の現地説明会を行ってくれました。
調査区の場所は、東第一殿の西側、藤原宮が機能していた時代には、セレモニーの場所として建物などは無い領域です。
そのような訳で、藤原宮時代の遺構を確かめた後は、一部を更に掘り下げて遺構確認をしています。
この周辺は今までも調査を行っているので、大まかな状況は予測できます。
宮の時代には礫を敷いた広場として存続され、その下層では造営の時の遺構が幾つか見つかっているので、今回もその続きが出るはずと、調査が行われました。

ここで写っているのは、宮の造営時の面です。
青いテープが並行して走っているのは、東西方向に検出された溝の輪郭を示しています。
この溝は礫で埋められ、朝庭の排水のための暗渠として機能していたようです。
調査員が指し示しているラインは、昨年の調査でも見つかった沼状遺構の岸です。
この遺構には多量の木片が埋められており、宮の造営時に製材した柱などの削りクズを捨てたのだろうと考えられています。
今回は、瓦溜りもこの遺構内で検出されました。
調査区全体では、少なくとも四つの大小の沼状遺構が見つかっていますが、部分的なトレンチ調査をした程度なので全貌は不明です。
それでも長年の間に、他の部分よりも地面が沈み気味になっているので、大まかなラインを推定する事が出来ます。

造営時の遺構として目立つものには、調査区北西部で見つかっている斜行溝です。
この溝はかなりの深さがあって、物資の運搬に使われたと考えられ、以前の調査で南西方向から延長部分が見つかっています。
本来は南北方向の溝だったのですが、延長部北側に大極殿院南門が造られる事になったので、東に外して掘り直をされた事も分かっています。

藤原宮の土地は、東から西、南から北へゆるく傾斜をしています。
かつては湿地だった場所も有るようで、宮の廃絶後に耕作地として利用されていた時期の野井戸が、あちらこちらで見つかります。
そのために排水にはかなり気を使ったものと思われます。

ところで藤原宮時代の遺構としては、新聞記事などで取り上げられた柱列があります。
この画像の中央部を斜めに走っているピンクのテープがそのラインですが、畦の向こう側という事もあって、かなり見難くてすみません。
柱穴の間隔は約3メートルで、今回は18間54メートルを検出し、更に東に伸びるものと予想されています。

この画像のラインより右側は、まだ礫敷きの面を残していますが、柱穴はこの面から見つかっているので、宮だった時代の遺構と考えられます。
柱穴の径は約30センチで、深さは35センチくらいなので、柱は太いものでもなく、列の部分が周囲の礫敷きよりも若干高くなっているので、塀のような施設にでもなるかと思われますが、まだ結論は出していないそうです。

まあ、場所が場所だけに、遺構はかなり地味です。
天気も悪く、午後からはかなり寒くなって来たのに、現地説明会への人出はそこそこありました。
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