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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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南池全景(チョイト歪みあり……)初っ端から下手な画像のつなぎあわせですみませんm(__)m
三枚の画像を繋ぎ合わせているのですが、変な角度が着いていて、かなり歪んでいます。
それはともかく、飛鳥苑池も最初の調査から既に十三年、既に第7次調査になりました。
当初は調査担当者の卜部氏の名前を冠して、一部では卜部池などと呼んでもいましたが、今もその通称で通っているのかな?( ・◇・)?(・◇・ )?

東側護岸と池底の段、柱の抜取り跡遺構としては、南北の二つの池が渡堤(わたりつつみ)を挟んで並び、更に水路が北に延びて川に排水していると考えられています。
南池は、ややいびつな五角形で、ここに見えている東側の岸から奥の南の岸に向かっては、鈍角というよりはゆるいカーブを見せています。
そのカーブの辺りは、護岸の石積みが高さ3メートル近く残っていますが、池全体の水位は、中央に作られた集石の中島が水面に出る程度と考えると、50センチくらいだったと思われます。
この岸沿いには画像に見るように、低い段差が設けられ、更には丸く石の無い部分が真っ直ぐに並んでいます。

柱の根が検出された部分この石の無い丸い部分は、柱の抜取り穴だと考えられ、延長部にはこのように柱の根元部分が検出されています。
上部は切り取られているようで、どのような施設に付随する物かは分かりませんが、抜取り穴の列は東岸と、北側の中島の岸に沿うように真っ直ぐ並んでいるので、双方に何らかの建物か何かが建てられていた可能性が考えられます。
柱の残る位置は、東岸の一番南側、カーブする少し手前くらいになります。

石造物の抜取り跡と石組暗渠今回の調査で新たに発見されたのは、最初の調査で見つかった噴水状の石造物や、今は京都の私邸の庭石になっている二つの石造物に水をひいていたと思われる石組暗渠と、石造物の乗っていた護岸の部分です。
南側護岸の少し低くなった部分に、大正時代に掘り出された平らで溝のある石(第三石)が置かれ、その手前の池の中に段になった石(第二石)が置かれ、更に少し先に一次調査で見つかった立ち石の石造物(第一石)が置かれていた事になります。
しかし、第一石の穴の高さよりも、第二石の溝の高さは低くなるそうで、二つの石の離れた部分に水を上げるための別の構造があった可能性もあるようです。

それにしても今回見つかった石組暗渠は、石造物に対しても少し高い位置にあるので、水を流す施設だった事は一目瞭然なのですが、この水がどこから来ていたかが現状では分かりません。
現在の飛鳥川はこの池の乗る段丘よりも更に下を流れているので、川の流れる位置が変わっている可能性もあります。
遺構の南側には川が溢れて小石や砂が堆積している様子が見られるので、川底がもっと浅かったのかもしれませんし、暗渠にひいていた水は、川とは別ルートから供給されていたとも考えられます。

苑池は2010年から保存整備活用事業が始まっていて、それに伴う調査はこれからも続けられ、何れは公園のように整備されるようで、更に広い範囲を見て行く事になると思われます。
さて、次にはどのような発見があるものでしょう、期待して見守りたいと思っております。
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