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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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新たに見つかった塔跡木曜日か金曜日の新聞に載って、土曜日に現地説明会でしたか。
3次調査以降、こちらの遺跡は京都府ではなく、木津川市教委が担当しているようですね。
そういう訳で今回の第5次調査では、3次調査の時に確認された仏堂の西側、一段高くなった平坦部から斜面の裾にかけて、平坦部の背後の斜面から山頂部にかけての広い範囲に、実に17本のトレンチを入れたそうですが、その内の14本からはまったく人為的な痕跡は確認されず、この寺が山岳修行とは無関係だろうという事が分かったようです。

西側の斜面から弥生土器の破片や石包丁が出て来たそうで、寺院よりもかなり古い時代に高地性集落があった可能性は在りそうですが、本来、山頂部にあるといわれていた古墳群は、どうやら無い事が確認されたようです……何で、遺跡地図に古墳群で載っていたんでしょう?(゚_。)?(。_゚)?

お馴染み、早川和子さんのイラストです。今回も木津川市在住の早川和子さんの再現イラストが受付に掲げられていましたが、2次調査の時の夜の法要の場面に、何と細身の三重塔が書き加えられていました!天(~o~)晴!
今回の調査で確認された遺構は、この塔の跡です。

上の分かりにくい画像、三つの礎石が写っていますが、手前の大きな物が塔の芯礎、後の二つと、手前の抜き取られた二つのくぼみで四天柱になるのかと思いきや、側柱なのだそうです。
柱間は一間(180cm)程度ですから、人の入れるような空間は殆どなく、それにも拘らず周囲の遺物の出方から、7尺(210cm)もの軒が出る可能性があるのだとか……かなり異様な姿の気がするのですが(゜.゜)
もう一つ不思議なのが、基壇の作られた様子がトレンチ断面を見てもない事です。
見た感じ、地山直上で礎石があるような……抜き取り穴のそこはどう見ても地山だよねぇ?
しかし、ここの土って馬見丘陵にそっくりで、掘り返された後にまたつき固められると分かりにくいんですよね……ベッタベタの粘土で(T_T)

2次調査で出土した木製品それはともあれ、この塔も火災にあった事がはっきり分かりまして、壁土が焦土化して礎石の周囲に堆積し、礎石そのものも赤く変色して破損していました。

この塔の付属品と思われる陶製の相輪の破片と、ミニチュアサイズの木製の巻斗が、2次調査の時の曲水池から出土しています。
こちらの画像は、今年の『発掘された日本列島』展に出されていた巻斗です……本日、大阪歴史博物館で見て来ました。

今回の出土遺物としては、薬師寺式の軒丸瓦平瓦和同開珎万年通宝鉄釘といったところですが、瓦類は普通の寺院に使われるサイズで数も少ないので、今回の小さな塔の屋根に葺かれていたとは考え難く、一部分に何らかの形で使われていたのかもしれないと推測されています。

さて、いつもながらにこの寺院は誰が何の目的で建立したのか……時は奈良時代の後半、場所は推定恭仁京右京の最南端?
極めて高貴な御方のプライベート空間としての宗教施設に位置付けられるのでは……調査担当の方々は、控えめながらそのように言われていたのですが、調査はまだ続き、既に史跡としての登録も勧められ、整備の計画も持ち上がりつつあるのだそうです。
来年度以降の調査では、さて、どのような事が分かりますものやら、期待しましょう(゜_゜)

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